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『トイ・ストーリー4』の感想/ボーとの再会!ウッディが紡ぐこれからの「トイ・ストーリー」/この結末は確かに想像を超えていたかもしれない

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どうもコモリです。
トイ・ストーリー4を観てきたのでその感想を述べます。

 

面白かったです!

 

キャッチコピーは「あなたはまだ――本当の『トイ・ストーリー』を知らない。」ですが、観終わってから「なるほどな。そういう意味か」と思える結末でした。

 

日本で95年に公開された第1作目から数えると、実に23年越しの結論。最新作の第3作から考えても9年かけて公開されたわけですが「やっぱりトイ・ストーリーブランドは健在だな」って思えます。絵も動きもテーマも、相変わらず素晴らしい。観て損は無いですね。家族みんなで楽しめるファミリー映画です。

 

特に今回は『3』でいったん退場したボーが画面に帰って来ますからね。本編ではボーが大活躍です。ウッディとジェシー、ウッディとバズも良いですが、やっぱり『1』からの相棒と言えばバズよりも先に、ボーがいたはずですからね。まさに古女房って感じが良いです。

 

本編と同時進行で、ウッディとボーの「イチャラブ」もちょこちょこ見れるんですが、これもまた楽しめましたね。

 

ただ「やっぱり3で一度完結してるよな」ってことも確認できました。あの結末は何とも言えないです。ファンとしてはあえて、「3で完結してる」と思ったほうが、少し気が楽です。真面目に作り過ぎですよね、ある意味。

 

ホーム・アローンのようにガチャガチャしてれば良かったはずなんです。そこにちょっと「大人でも楽しめる要素」が入っているからこその面白さなんですけど、エンタメ性よりもドラマ性が強くしかも1、2、3という流れがあるからこそ楽しめる今回のお話なので、泣けますけど単純に笑って泣けるアニメ映画とはちょっと違いますね。(それは1とか2の話)

 

色々言いたいことがあるので、ここからさきは以下本文をどうぞ。前半ではネタバレ無しに語ります。後半でネタバレありで語ります。

 

まあ、上では色々言ってますけど良い映画です。1,000円出してみる価値ありますよ。クソみたいな邦画見るぐらいだったらこれみてください。楽しいです。僕は1、2、3を見直したうえで観に行って、開始5分ですでに涙ぐんでました。昨日の夜に3を観たのでもう完全につながってるんですよね思いが。「みんなボニーちゃんの新しい家で頑張ってるんだねグスン」みたいな気持ちになれるからおすすめです。過去作全部みてから行きましょう。ロングランで上映するはずなので、見終わってからでも遅くはないはずです。

 

 

【ネタバレ無し】で語る

 

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ネタバレ無しに「面白いよ」って伝えるの難しいのですが、とりあえずこんな感じかなと思います。

 

【1】ボーとまた会える

 

ボーがまたスクリーンに帰ってきた!

 

これだけで観る価値ありますね。『3』で突然消えますからね、ボーって。ファンからしても、あれは突然の別れでしたよ。

 

ボーは『1』からのメインキャラだったはずなのに、何も描写が無く消えるのはちょっと悲しかった。俳優、女優、声優の都合で(=大人の事情で)メインのキャラが続編で急に消えるってことはよくありますけど、べつに戸田恵子さんに何もありませんからね笑

 

ウッディの古女房といえばバズですがそれは最近の話ですよ。『1』よりも前の長い時間一緒に過ごしたのはボーなわけですから、そのボーが『3』でいったん消えて、また戻ってきて大活躍する『4』はファンとして嬉しい限りです。

 

映画の冒頭のシーンで『3』で明らかになっていなかった「ボー・ピープ」との別れの経緯が明らかになります。

 

時間軸で言うと「2」と「3」の間の出来事ですね。「なるほど。こういういきさつがあったのか」と納得しました。さかのぼって『3』を見るのが楽しくなりそうですね。

 

今回のボーはスカートなんて履いてません。公式ビジュアルから分かるように、ボーの見た目がガラリと変わってます。かなりアクティブな装い。アンディとその妹・モーリーの部屋から消えて7年の月日が流れています。

 

ウッディ達は、サニーサイド保育園から逃れたあとボニーちゃんの家に身を寄せますが、その間ボーはどうしていたのか。どういう目に遭っていたのか。そしてどういう考え方を身に付けたのか。なかなか成長があって面白いです。

 

『3』にいなかったからこその、ボーが輝くいい映画だったと思います。

 

というかボーはいい女ですよ。ウッディにはもったいない。笑 僕もあの長い杖(シェパードクルーク)でグイっと引き寄せられたいです。キスの嵐、受けたいです。

 

ちなみに、ボーのそばにいる「3匹の羊」の名前も今回明らかになります。

 

【2】哀しき敵・ギャビーを見よ

 

トイストーリーって必ず「敵役」が出てくるじゃないですか。『1』だと、クソガキのシド。『2』だと、プロスペクター(およびニワトリおじさん)。『3』だと、ロッツォ(苺の匂いがする悪魔)。

 

そして今回の『4』では、アンティーク人形の「ギャビー・ギャビー」が出てきます。初めての「女」の敵です。

 

これがまた凶悪と言うかなんと言うか。「あるもの」を狙っていて、奪おうとするわけですがその理由ってのがまた悲しいんですよ。

 

プロスペクターとかロッツォと同じように、ギャビーも「おもちゃ(人形)」ですからね。「そうだよな。そっかそっか」って観てて思うと、涙が出てきます。

 

そして最後ですよ最後。ギャビーちゃんが最後どうなるのか。人間の女の子はなんて純粋で、残酷なんだろうか。ぶっちゃけどうなるか途中で展開読めるんですけど、それでもハッキリ描写されるのは悲しいことですよね。

 

歴代最高に「哀しき敵」だったと思います。ディズニー・ヴィラン界にこの夏、名を残したと思います。

 

【3】さらに「続編」を作ろうとしている? 『トイ・ストーリー5』は何年後?

 

個人的にあのラストは、たぶん『5』作ろうとしているんじゃないかなと思いました。何年先になるか分からないですけどね。『3』から『4』は9年待ってるわけですから、10年越しにまたトイストーリーが、『トイ・ストーリー5』が見られるかもしれないですね。

 

それぐらい「続編もつくれそう」な終わり方でした。『4』のお話は完結していますが、さらにその先も想像できるのでまた10年近く待っても良いのかなとも思えますね。

 

【ネタバレあり】で語る

 

あらすじ

 

以下ネタバレです。まずはあらすじから説明します。その後に内容を踏まえた僕の感想です。

 

冒頭で「ボーとの別れ」を描く。時間軸は9年前。『2』と『3』の間の出来事。成長したモリー(アンディの妹)は、ライトスタンドが不要になりボーを手放した。ボーは知り合い(成人)に貰われることになる。そこでウッディはボーを「救出」しようとするが、ボーは自身がアンディの持ち物ではなくモリーの持ち物であり、そのモリーが判断したことだからという理由で「次の持ち主」のところへ行く決断をした。(あえてウッディの救いの手を払う形になった)

 

時は流れて数年後。『3』のストーリーを経て、アンディに代わってウッディ達の新しい持ち主となったボニーとの仲は良好。ただしボニーはアンディと違って、女の子だった。保育園児から幼稚園児となったボニーは、ウッディで遊ぶことが段々少なくなり始めていた。それでもウッディは「ボニーのおもちゃ」ということに誇りを持ち、忠誠心を保ったままボニーを温かく見守っていた。

 

ボニーは内気な性格で幼稚園では友達が作れずにいた(通園初日でお友達が出来ず)。ウッディの機転でボニーの持ち前の「創作力」を発揮させ、元々は捨てられてしまう運命にあった先割れフォークから「フォーキー」というキャラクターを作る。(図画工作)

 

不思議なことに、フォーキーは既製品ではないにもかかわらずウッディ達と同じように動いたり、話したりできた。だが、フォーキーはもともとゴミであったことにこだわり、ボニーが目を離すとすぐにゴミ箱に入りたがった。

 

幼稚園では独りぼっちのボニーにとって、唯一のお友達であったフォーキーは大切な存在だったが、フォーキーは持ち主のことなど考えていないから、ウッディが自らお目付け役となり常にフォーキーがボニーのそばから離れないように監視を続けた。

 

ところがウッディが目を離したすきにフォーキーがボニーのもとを逃げ出してしまう。シリーズで一貫しているように、ウッディは仲間の離脱を極力認めない方針である。フォーキーの連れ戻しにかかる。(諸事情からウッディの単独行動)

 

フォーキーの捕獲に成功したウッディは、前の持ち主アンディの思い出を語りつつフォーキーとも仲良くなり、一緒にボニーのもとへ帰るはずであった。

 

しかし途中で見かけたアンティークショップに「ボーのライトスタンド」が置いてあることに気づいた。ボーと会えるかもしれないと思ったウッディはフォーキーを連れたまま寄り道をした。

 

ボーはいなかったが、その店にはギャビーというアンティーク人形とその仲間がいた。ギャビーには、ウッディと同じようにボイスボックスが付いており、後ろのヒモをひっぱると声が出るようになっていた。しかしギャビーの装置は状態が悪く声にノイズが入ってしまう音声だった。

 

そこで目を付けたのがウッディの壊れていないボイスボックスであった。ギャビーはウッディから力づくでごボイスボックスを奪おうとする。

 

ウッディはアンティークショップから逃げ出すことに成功するが、フォーキーが捕まってしまう。

 

ウッディは何とかアンティークショップに戻ろうとするがトラブルに見舞われ、なかなかたどり着けない。そんなときボーと再会する。

 

ボーもモリーの次の持ち主の元へ行ったが、結局手放されアンティークショップで売られていた(飾られていた)と言う。だが、その後新しい持ち主が現れず、人形=おもちゃとしての使命(子どもたちに遊んでもらいたい。楽しませたい。必要とされたい)から耐えきれなくなったボーは店を抜け出して、持ち主がいないまま放浪生活をしていた。陶器人形である彼女は壊れやすいが、旅の中で新しい仲間と出会い、修理体制もばっちりの中で今は公園で子供たちと遊ぶおもちゃのサポートをしていた。

 

ウッディに乞われて、ボーも渋々アンティークショップに行き、途中でウッディを助けに来たバズとも合流しフォーキーの救出作戦が開始された。

 

しかしうまく行かず、一度はフォーキー救出作戦を断念する。諦めきれないウッディのみが店に戻った。他のものは、あまりに危険かつ困難な救出作戦から撤退した。

 

案の定ウッディはギャビーに捕まってしまうが、ウッディはギャビーがなぜボイスボックスが欲しいのか知ってしまう。

 

アンティークショップ店主(お婆ちゃん)の孫(女の子)・ハーモニーちゃんは、お店に来てはいつもお店の商品を使っておままごとをしている。棚からそれを眺めていたギャビーは、自分もそのおままごとに使われたいと願っていた。ギャビーも誰かに必要とされたかった。ギャビーはその原因が「壊れたボイスボックス」にあると考えていて、ボイスボックスが直り、キレイな声をまた出せるようになればハーモニーに可愛がってもらえると信じていた。

 

ウッディはギャビーの事情を聞き、自分がアンディから受けた愛の大きさを思い出しながら、それを受け入れることにした。つまり、自分のボイスボックスをギャビーにあげたのである。

 

代わりにフォーキーを返してもらい、あとは2人でボニーの元へ戻ればいいはずであった。しかし、ハーモニーはボイスボックスが手に入ったギャビーに魅力を感じず、「いらない」と言って箱の中に投げ入れた。ギャビーはハーモニーに気に入って貰えなかった。

 

がっかりするギャビーであったが、声を掛けたのはウッディであった。そしてボーも再び戻ってきた。ウッディを助けるために。ギャビーは、ボーが言うように自ら店を出て、ウッディらに同行しボニーの家へ行くことにした。

 

ジェシー他仲間たちの尽力もあり、アンティークショップの近くにボニーらは足止めされていた。

 

途中、迷子を見つけたギャビーはその子のそばにいることにした。ギャビーの声を聞いた迷子は勇気を出して、警察官に声を掛けることができた。親を見つけることができた。ギャビーはそのままその子に貰われて行った。ギャビーは満足している様子だった。

 

シェシーやハムやポテトヘッド夫妻やバズの尽力もあり、アンティークショップの近くに足止めされていたボニーのもとへ、無事帰ることができたウッディとフォーキーだったが、ウッディは結局ボニーの心がもうすでに自分から離れてしまっていることを知っており、アンディ組のおもちゃはジェシーに託すことにした。

 

これまでずっと「おもちゃは持ち主の子供の元を離れてはいけない。何があっても」と考えてきたウッディだったが、ボーのように持ち主がいなくても幸せにおもちゃとしての使命を全うできることを知り、ウッディはボーや新しい仲間と共に「持ち主に出会えなくて悲しい思いをしているおもちゃ」と「子供」を引き合わせる活動を開始する。

 

ウッディは持ち主を持たず、第一線からは離れるが、おもちゃと子供の新しい「トイ・ストーリー」を紡ぐ担い手となった。

 

トイストーリーは続いていく。

 

感想

 

ウッディが直面してきた問題、つまり「もし捨てられたら?もし飽きられたら?子どもが大人になったら?どうする?おもちゃは遊び相手になってこそ生きている。遊ばれない日が続いたらどうなる?」という「おもちゃシンドローム」に結論を出した気がする。

 

第1作から第3作に至るまで、特にプロスペクターやロッツォの問いかけに曖昧な答えしか出せなかったウッディだったが、もっとも頑なに「持ち主のそばを離れるべきでは無い」と考えてきた彼が今回のような決断をするのは、非常にショックが大きい。

 

前作の終わりでは「いや~、ボニーちゃんがいて良かった。アンディも最初は手放すことをためらっていたけど、ウッディのためにはあれが一番いいよな。おもちゃは遊ばれて喜びを感じるんだから。ボニーちゃんにいっぱい遊んでもらえるんだろうなあ」と思ってたら、これである。なるほど、うっかりしていた。アンディは男の子だがボニーは女の子である。カウボーイよりもカウガールのほうが好きだった。

 

「おい! ボニーふざけんな!」と言いたいところだが、やっぱりこればかりはどうしようもない。子供って残酷……。それでもあんな自殺願望の有るフォークを連れ戻そうとよく頑張ったよな。

 

ボーの活躍は面白いけど、ジェシーの活躍とか、ハム。スリンキー、ポテトヘッド夫妻などのアンディ組、そしてドーリーなどのボニー組の活躍をもっと見たかった。

 

ボーやギャビーなど、アンティークショップのアクションは素晴らしい。アクションシーンはどれも素晴らしいし、ボーの「陶器の質感」も素晴らしいけど、やっぱり家の中のものを使ってホームアローンのようなギミック、仕掛けで敵に勝つストーリーが見たかったかも。

 

サニーサイド保育園の話は面白かったんだけど、違いは何だろうか分からない。テーマが重くなり過ぎたんじゃないかな。あれって純粋に子どもたちが楽しめる内容になっているんだろうか。フォーキーのおとぼけには、劇場の子供たちから笑い声が聞こえたけど、それ以外が果たして面白かったのか疑問。

 

ギャビーちゃん可愛そう。予想はある程度できたけど、ハーモニーに捨てられるのは悲しいな。素直に頼んだからこそウッディからボイスボックス貰えたのに。私が愛されないのはボイスボックスが壊れているから。そうよ。これが問題なのよ。じゃなかったら何よ。何が悪いのよ。ボイスボックスさえ、ボイスボックスさえ直ればって思いが彼女を奮い立たせていたのかもしれない。誰かに愛されたいという思いに勝る思いがあったからこそ、希望を信じて頑張って来れたのかもしれない。ハーモニーにフラれたときは悲しかったけど、ウッディらに同行する流れになるところまでは予想できたから、安心して見ていられた。

 

ただ、迷子のところに行くってルートは予測できなかった。まあアンティーク人形だから、あの見た目をかわいいと思う子って少ないよね。穿った考え方をすると、子どもが最も弱っている、心細いところで味方になったわけで最大限貰われるように努力したかもしれない。そういう環境を使ったかもしれない。

 

ギャビーちゃん見た目怖いし、強キャラ感強いしけど史上最も悲しい敵だった気がする。敵のために流した涙はこれが初めてだわ。焼却炉に落ちて、みんな手を繋いで最後の時を過ごそうとするウッディたちに涙しても、さすがにロッツォに涙はできなかったよね。これは意外。いい映画。

 

もう20年も経ってるから、スリンキーの声もポテトヘッドの声もハムの声も変更になってるんだよな。亡くなったり降板してる。悲しい。特にハムとポテトの掛け合いとか、皮肉とか、イヤミとか、ネガティブ思考とかあれ大好きだっただけに声も変わって、活躍も少なくなって、ちょっと寂しかった。

 

映画の冒頭でRCを助けるシーンがあったからRC助ける話かと思った。違った。あと新しいリーダードーリーの命令に従わないウッディとの仲たがいを描くのかと思った。アンディ組とボニー組で派閥争いあるのかと思った。違った。

 

ボーがいつも連れてる羊の名前は「ビリー・ゴート・グラフ」。メス。

 

フォーキーは他から比べるとキャラが弱いし、自殺願望あって面倒くさい。ちょっとイライラする。キッズには人気かもしれないけど。ボーがかわいいから許すけど、次やったら承知しないぞ。後輩のフォーキー♀を何とかしろ、フォーキー♂。

 

まとめ

 

楽しかった。