今度、オタ友達と会うのですが『ラブライブ!サンシャイン!!』の話をたぶんすると思います。
特に推しメンの話ね。笑
僕は断固「果南推し」です。
近年まれにみる肉体の出来。
過去20年でトップクラス。
磯の香りが強く、みずみずしさが感じられる素晴らしいボディ。
ドスケベさと健康さのバランスがとれた上品なアイドル。
それがなんぱい、もとい、松浦果南。
なので、議論に負けないようにまた観なおしておこうと思います。(復習的な意味で)
ただボケーっと見るのもアレなので、見る前にちょっと自分の頭を整理しておこうと思います。
結局のところこれは「青い鳥」の話なわけで、自己啓発。
最終回の千歌ちゃんのセリフ=「追いかけると逃げていく輝き」に凝縮されているんじゃないかなって気がしてます。
『ラブライブ!サンシャイン!!』と「Aqours」に対する感情
前置きが長くなって申し訳ないですが、さらにちょっと語っておきます。
自分のスタンスを先に述べておくと、僕は自称穏健派です。
μ'sもAqoursも好きだからです。
突然ですが『笑ってこらえて』って番組知ってますか?
所ジョージさんの番組です。
先日観た『笑ってこらえて』で姫路市辻井の話題をやっていたのですが、その中で「他の村はけなさんけど、わが村が一番。他の村の者もたぶんそう思ってる」みたいなセリフがありました。
スケールも質も違いますが、オタ趣味も本来こんな感じで語られるべきなのではないかなと思います。
そうすれば、もっと牧歌的で優しい世界になるんじゃないかな。
つまり、ひと言で表すとこんな感じ。
自分の好きを語るうえで他を貶す必要はないんですね。
要は「μ'sもAqoursもみんな違って、みんないい」。
東條希もドスケベボディだし、松浦果南もドスケベボディ。
これは人をダメにする東條希ちゃん pic.twitter.com/SHwMzaxRtm
— モグ (@MoGu_1i27) 2018年3月24日
そう言うこと。
素直に書くとこの記事やこの記事ですでに語っている通り、あまり『ラブライブ!サンシャイン!!』を評価してない部分も少なからずあります。
ただ、ぜんぶ観た上で書いてます。
しかもμ's原理主義者というほど過激なわけでもありません。
Aqoursの物語も見たうえで、認める部分は認めています。
むしろμ'sの輝きを受け継いだ同じ「ラブライバー」として、敬意を表したいと思います。
よって僕はAqoursも認める穏健派なのです。
ただ『μ's VS Aqours』の構図で語られるスレを見ると穏健ラブライバーとしては、ちょっと悲しいです。
対立を煽る必要は本来ありません。
みんな仲良くしようよ!と。
僕はそう言いたいのです。
とは言え、やはり『ラブライブ!サンシャイン!!』は難しい。
1期、2期ぜんぶ観てもよく理解できなかったことは否めません。
ただ、穏健派としてはもっと理解したいと思うのです。
もっと理解したうえで『ラブライブ!サンシャイン!!』を語りたいのです。
『ラブライブ!サンシャイン!!』を語ることで、μ's原理主義者にもAqoursの魅力を知ってほしいのです。
Aqoursからμ'sを読み解けば、よりμ'sの研究が進むと思うのです。
だから『ラブライブ!サンシャイン!!』を理解したいと考えています。
ただ、繰り返しになりますが『ラブライブ!サンシャイン!!』は難しかったです。
というか後半になるにつれて千歌ちゃんがすっかり「輝き教徒」になっていて、カガヤキ、カガヤキうるさい、もとい「くどい」印象が強かったです。
あれがなんなのか分かれば、『ラブライブ!サンシャイン!!』をもっと理解できるはずなので、ヒントになるようなことを書き留めておこうと思う次第です。
追うと離れる「輝き」/追うのを辞めて初めて手に入る
第2期の第13話で『WONDERFUL STORIES』って曲が流れます。
初めて聞いたとき、僕はそれほどこの曲好きじゃなかったです。(→参考記事)
いま思えばストーリーがあまりにもひど過ぎて、曲が頭に入ってこなかったんですね。
ただ、曲だけを繰り返し聞いていると段々「いい曲なんじゃないか?」って気がしてきて、今ではすっかりアレルギーが消えたどころか好んで聞いています。
むしろ間奏の千歌ちゃんのセリフが無いFULL版は、少し物足りない気さえします。
そして思うのですが、僕はこの間奏で語られる千歌ちゃんの「気づき(セリフ)」こそが『ラブライブ!サンシャイン!!』の神髄なんじゃないかと思うのです。
あるいは重要なヒントですね。
以下引用します。
私が探していた「輝き」、私たちの「輝き」。
あがいてあがいて、あがきまくって、やっと分かった!
最初からあったんだ。初めて見たあの時から。
何もかも一歩一歩。
私たちが過ごした時間のすべてが、それが「輝き」だったんだ。
探していた私たちの「輝き」だったんだ。
そして歌唱パートで次の歌詞が続きます。
青い鳥~♪ (探してた~♪) 以下略
ダンスパートも「鳥かご」を意識した振り付けになってますよね。
見たまんまです。
「青い鳥」については言うまでも無く、「幸せ」の象徴ですね。
しかも、自分達が気づかないだけで実は身近なところに探しているものはあったんだ、と。
この「青い鳥」の例が出されたことで、僕の中ですごく理解しやすくなったと思います。
要するに「輝きたい」と思って「輝き」を追いかけると「輝き」は逃げていくって構図です。
逆に、そんなこと忘れて必死にあがく、あるいは一生懸命頑張る姿そのものがまさに「輝き」であって、追いかけるのを止めて初めて手に入るってことですね。
まさか2期の13話でこんなヒントを出されるとは思わなかったので、自分の読解力の無さを恥じるところですが、あえて逆切れするとこんな難しいつくりにされたらキモオタ全然分かんねえよと申し上げたい!!!
ただ、もう一度見直すならこの「追うと離れる輝きの話」って軸でみることができますから、そういう視点で観察していると、これまで見えていなかったものがもっとクリアに見えるんじゃないかって気がします。
「追うと離れる」は、なんというか「ラブコメ」をイメージすればいいんじゃないですかね。
「好き好き」と主人公がヒロインに詰め寄ると距離を置かれて、まったく見向きもされず、むしろヒロインには意中の男がいるわけです。
で、さすがに主人公も心が折れて完全にヒロインのことを一度は諦める。
ただ、そこからの主人公はもうホントに自分の中からにじみ出る「本当の姿」なわけです。
好きなヒロインに寄せて、アピールする必要が無くなった。
主人公本来の持ち味が出てくるんですね。
で、それが善なるものならヒロインも少なからず評価してくれるわけです。
極端に言えば、まさかの展開でヒロインが主人公に惚れるんですよ。
つまり、主人公からヒロインに対して一方的に矢印が出ていた関係が、逆にヒロインから主人公に対する矢印に変わるってことね。
その後の話はラブコメによるので一概には言えませんが、まあ大体、ヒロイン側の失恋というまさかの終わり方をすることが多いんじゃないかな。
『ラブライブ!サンシャイン!!』はそういう男女の恋愛の話じゃないけど(百合的な意味でどうかについては、ここではあえて言及しない)、まあ最後は「廃校」になったわけですから似たようなもんです。(雑)
μ'sの輝きの正体は、その「一生懸命な過程」とか「スターダムに駆け上がる姿」なわけですから、Aqoursもμ'sを追いかけてる限りでは「輝き」なんて手に入るわけがないんですよ。
逆説的だけど「μ's離れ」が出来て初めて「μ's的なもの」を手に入れることができる、というしくみなんじゃないかな、と最近思う次第です。
まあそれは第1期でも分かっていたことだけど、2期もただそれをもう一度、違う言いかたで伝えようとしてるだけなんじゃないかっていうのが僕の推測だったりします。
もう一度見てみて、この仮説を確かめたいと思います。