もえろぐ

在宅ワークで生きているアラサー男のブログ

良い信者と悪い信者について/好きなアニメをディスられた時の対応について

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いま僕は『Fate(SN無印、Zero、UBW、HF)』というアニメを見ている。好きなところもあれば嫌いなところもあるアニメだ。YouTubeで思ったことを発信し続けている。

 

YouTubeもそうだし、Twitterもそうだが、そういう「好き・嫌い」にまつわる発信をするとその意見が「気に入らない」人が必ず出てくる。

 

好きな作品を批判されると自分がディスられているような気がして、居ても立ってもいられず、クソコメ・クソリプをする人が現れるのだ。ぼくのYouTubeのコメント欄もそんな感じ。

 

対応は簡単。ブロックだ。そういう意見は基本的に一切建設的ではない。感情論VS感情論なのでレスバしたところで無意味。お互いにとって無益だ。だからいち早く論争を打ち切るために、というか論争にならないように排除する。それが僕の流儀だ。

 

ところが、中には真っ当なコメントもある。「説明してくれる人」や「ガイド」のような人だ。僕が思い至らなかったために「嫌い」になっている部分を正確に把握し、手を変え品を変え、根気強く説明してくれる人がいる。こういう人は本当にありがたい。

 

好き・嫌いの問題なので、残念ながら説明を聞いてなお「いや、それでも俺は納得できない。腑に落ちない。嫌いだ」となることもあるが、とても建設的な議論になり得る。相手にとってもどうやら「ああ、こういうところにひっかかるのか」と人間観察を楽しんでいるようだ。こういう人は当然ブロックしない。自分にとっても有益だからだ。

 

こちらが「好き・嫌い」の感情論でモノを言ってるのに、相手が「ファクト」や「公式設定」や「描かれていないけど他の作品で描かれていること、補完されている情報」等をそっと置いていってくれるイメージ。

 

「バカ」「見なきゃいいじゃん」「死ね」「全然わかってない。もっとよく見ろボケ」などクソコメしてくる人は悪い信者だ。結局、それでは僕の「嫌い」は変わらない。だが対照的に良い信者がいる。僕が分からないこと、嫌いなことをいったん受け止めた上で、好きになれる可能性を秘めたコメントを返す。そういう人が良い信者だ。やっぱり嫌いな部分も多いが、知ったうえで嫌いなのと、よく分からず嫌いなのは「嫌い」の質が異なると僕は考えている。

 

Fateは特に信者の層が厚い。悪い信者も良い信者もかなりいる。悪い信者はこれからも徹底的に排除していくが、良い信者との交流は広げていきたいものだ。

 

僕も確かに好きな作品をディスられたら気分は悪い。だからそもそも批判には目を向けない。見ないようにしている。わざわざ臭いものには近づかない。(ガソリンスタンドには近づくけど)僕はそもそもその良さが分からない人とは議論しないことにしている。こういう不毛な議論に陥らないためだ。「人は分かりあえない」というところからまず始める。それが僕の考え方。だから「リリカルなのは、つまんない」と言っている人がいても「そうなんだ」で終わる。それ以上聞く気はない。そういうものだから。分かる人とだけ仲良くしていたい。常々そう思ってきた。

 

でも、もし機会があるとしたらあの「良い信者」のように、ガイド役を務めたいものだ。