【この記事のポイント】
- 子供の頃からの「夢」の職業に就けた人は2割以下である。
- しかし「仕事にやりがい」を感じている人は8割を超えている。
- どんな仕事もやってみると意外と面白かったり、「やりがい」を見つけられるかもしれない。
きっかけ:床屋にいた「坊や(キッズ)」
今日は床屋で髪切ってきました。
ぼく髪が伸びる速度が早いんですよねー。
月末はだいたいもっさりしてます。笑
(顔そりとか髭剃りとか肩もみとか好きで床屋の常連です笑)
さて、今日の床屋には坊やがいました。
待合室でたぶんお父さんを待っていたのだと思います。
で、その坊やと店員さんがお話してたんですが、まー実にハキハキしてて感心しました。あれはコミュ力高そう。将来有望だわ。
坊や先輩、尊敬します。
10%くらいそのコミュ力ください。オナシャス。
あの子を見ていて思い出したのは、天才・寺田心くん。
でも心くんレベルになるともう「プロ子役」だから、演技がわざとらしいというかアレですよね。濃口、味付けベッタベタって感じ。
(引用元:寺田 心 | ジョビィキッズ)
「あっ……。オトナが望む答えを言ったんやろか」的な。
そんな感じ。
ナチュラルな、自然な子供っていう感じが欲しかったらやっぱり、ガチの子供、つまりその辺のクソガキの話し方とかが一番だと思います。
でも誤解しないでほしい! 心くんが悪いわけじゃないんです!
周囲の「カネ」で心を汚された大人が悪いんです!
どっちかっていうと「心」を汚してるんです、大人たちが。
子役ってなんなんですかね。
ぼくがやっぱり疑問なのが「子供が自らの意思で役者の道を歩むか」という問題。
どうしても「親の押し付けなんじゃないか」とかそういう歪んだ見方をやっぱしちゃうんですよ……。
あの頃の子供って難しいよね、「自らの意思」という部分が。
「ぼくお芝居すき! やってみたい!」と本人がたとえ言ってたとしても、それは大人(親など)に褒められたいからであって、問題の本質は他にあるんじゃないかなんてそういうことをついつい考えちゃうわけです、はい。
でもその一方で、こんなことも思うわけ。
「やってみると意外と面白かった」なんてこといくらでもあるよね、と。
「つまらん」とか「クソだわ」とか思ってることでも、苦痛じゃない限り続けることができるから案外やりつづけていて、しかも続けるうちに自分なりの「面白さ」みたいなものが分かってきたりするじゃないですか。
あるいは、その一連の作業が自分の「型」とか「ベース」になって、それをひとつの基準に色んなことを進めていくとか、そういう役立て方もあるじゃないですか。
だから、最初は親のごり押しで無理やり押し付けられた習い事であっても、結果的にそれがその子の将来に役立てばいいわけです。
そう考えると、べつに「実害」がなければその子の「やってみたい!」を信じて何かやらせてみるというのもアリなのかな、と思うんです。
「ああ! 俺は一体どうしたらいいんだ! 心くんは役者を続けるべきなのか!? やめさせるべきなのか!? 俺は、俺は一体どうしたら!!!」とかなんとか思いつつ、今日は洗髪台のサカナになってました。笑
夢を叶えた人は2割
去年こんな本を読んだことを思い出しました。
価格:820円 |
この本で紹介されている調査によれば、
「小学生の頃、夢だった職業に就くことが出来たか」という質問に対して「就くことが出来た」と回答した人は15%程度だった、というもの。
なるほど。
この調査の結果は少し悲しい事実かもしれません。
難しいよね、夢って。
でも、著書の中では別の調査結果も考察していて、
「仕事にやりがいを感じたことがある」かどうかとの問いに対して、回答者の八四.二%が「はい」と答えている。
当然のことではあるが、「希望していた仕事」に就いた人(つまりは、夢を実現した人)だけが「はい」と答えたのでは、八四%には遠く及ばない。
ということは、「希望していた仕事」に就けなかった人も、多くはこの質問に肯定的に答えているのである。
夢があふれる社会に希望はあるか(児美川孝一郎)
このことから著者は「やってみると案外よかったってこともあるよね。夢って変わるよね。やってることが夢になってたりするものだよね。夢は育てるものだよね」という方向に考察を進めていきます。
だから、やっぱりさっき僕が書いたようなことは数字としても現れているということですね。
「なんでもやってよう。やってみてから考えてもいいじゃないか」
それが今日ぼくが言いたかったことです。