もえろぐ

在宅ワークで生きているアラサー男のブログ

『人生ゲーム』のルーレットを「そろ~っと」回すことは卑怯なのか

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キャンプで『人生ゲーム』をしたんですが、「勝ちに行きたい」友達がルーレットを「そろ~っと」回して(希望の目を出したことによって)、炎上しましたwww

 

ここで考えたいのは「フェアプレイ」という観点。
ルーレットをそっと回す行為は、「フェアじゃない! 卑怯だ!」という人もいれば、「勝ちに行くなら仕方ないよね。ルーレットは回してるし。ルール違反ではないからセーフ」という人もいる。

 

ここんとこ難しいですよね。
フェアなのかどうか判断ができない。

 

皆さんは『人生ゲーム』ってやったことあります?
結局「すごろく」ですから、基本「運ゲー」なわけですよ。
で、ルーレットを回して進み止まったマスによって何が起こるか決まるわけ。

 

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無論、マスの指示に従うか、従わないか選択の余地があればプレイヤーの戦術や戦略が入り込む余地がありますが、マス目が予め公開されていて「良いマス」と「悪いマス」が分かっているならば、当然後者を避けようとするでしょう。

 

勿論、ルーレットの出目を選んだら、そりゃあルール違反www
反則負けです。議論の余地が無い。

 

でも、そっと回すことはルール違反ではない。力の加減はあるものの、ルーレット自体は回している。
とは言え練習すればかなりの確率で、自分の希望の目を出せる。
果たしてこれはフェアなのか。

 

これを考えるうえで、少し深読みしてみましょう。

 

ゲームの目的は「勝敗」を決めること

 

どんなゲームにもスポーツにも(1人でやるもの以外)、必ず「勝者」がいます。つまりゲームとかスポーツとかは、勝者を決める営みなわけです。

 

オリンピックも甲子園も同じです。
体動かしてキャッキャうふふしたいなら、わざわざ全国大会、世界大会をやる必要が無いでしょう。

 

「アスリート精神」とか「スポーツマンシップ」とか言ってても、結局「勝ちたい」ことには違いありません。むしろ、勝たなければ意味が無い。

 

「この銅メダルには金メダルの重みがある(涙目)」と言ったとしても、それは負け惜しみです。4年後、必ずまた金メダルを目指して戦うでしょう。「4年前に金メダル級の銅メダル取ったから出場しなくていいか」とはならない。

 

なぜゲームをするのか。なぜスポーツで競うのか。
「誰が一番強いか決めたいから」です。
自分を試したい、とはそういう意味です。

 

フェアプレイはルールを守ること、とも言えますが、
そのルールも勝敗を決める道具に過ぎません。
ルールを守らないとゲームが成り立たないから守るんです。
(ゲームが成り立たないと勝敗を決められない)

 

だから、ゲームの目的は「勝敗を決めること」と言えます。

 

フェアプレイとは「勝敗に疑念を与えない」こと

 

『人生ゲーム』だって同じです。
誰が「勝ち組」か決めたいわけです笑。(ゴール後の所持金で判断)
つまり勝敗の決定です。

 

キャッキャうふふしたいなら、ただキャンプやってりゃいいんです。
僕らはそうじゃない。たとえ暇つぶしだとしても、誰がナンバーワンか決めたい。そういうものなんです。

 

人間は闘争本能を持っています。
普段は社会生活を円滑に営む上で邪魔になる場合が多いので隠していますが、競う心を持っています。

 

これを解き放ってガス抜きしようというのが、ゲームだったりスポーツだったり、オリンピックだったり甲子園だったりするのです。
人間は野蛮な生き物なんです。(ちょっと言い過ぎた)

 

じゃあ、フェアプレイはどっから出てくるのかというと、「目的を破壊してはいけないというルール」、それがフェアプレイとかスポーツマンシップと言われるものです。

 

前述のとおり、ゲームの目的は「勝敗を決めること」です。
でも品性に欠けるプレイヤーやルールの穴を突いたプレイをして、その人が勝った場合、「こいつは卑怯な勝ち方をした! 真の勝者は他にいる!」という人が必ず現れます。すると、せっかく決めた勝敗の信頼性が揺らいでしまい、一度決めた勝敗が無意味化します。

 

要するに、ゲスプレイはゲームの目的を破壊してしまうんです。これを戒めるのがフェアプレイなわけです。

 

さて『人生ゲーム』に当てはめるとすると、どうでしょう。
ルーレットをそっと回して得た勝利を認めない人がいるならば、それはゲームの究極の目的=勝敗を決めること、を破壊していることになります。だからルーレットをそっと回す行為は卑怯=フェアじゃない、という結論が得られます。

 

今後も「ルーレットの回し方」に賛否両論が出るならば、やはりプレイする前にきちんと取り決めをする必要がある。そうじゃないと、何回やっても勝敗が決められない。

 

フェアかどうかは参加者が決めるべき問題です。
しかし、勝敗を決めた後にフェアかどうかを決めるのでは遅すぎる。せっかく決めた勝敗が意味を失いかねない。

 

したがって、フェアかどうか争いがありそうな部分については、予め基準を設けておいてプレイすることが、円滑なゲームの第一歩です。
フェアプレイで楽しみましょう。

 

結論

  1. ゲームの目的は「勝敗を決めること」である。
  2. 「フェアじゃない(卑怯)」とは「一度決まった勝敗に疑問の余地を与えること」である。
  3. 『人生ゲーム』においては、「ルーレットをそっと回す人が勝者になることを認めない」という人がいる限り、「ルーレットのそろ~っと回し」は卑怯な行為である。