もえろぐ

実家暮らしの20代独身男が今期アニメを面白おかしく解説するブログ。ときどき日記を書きます。

歴史と過去の違いって? 「歴史」とは「完成図が分からないパズル」


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「歴史」と「過去」はどう違うのだろうか

 

結論から言ってしまおう。
「過去」とは「すでに完結しているたった1つの出来事」であり、
「歴史」とは「その『過去』を現在に生きる私たちが再現しようとする試みのこと」である。

つまり、私たちは「歴史」を使って「過去」を見ている。

 

「過去」と「歴史」は、実に似ている


過去と歴史は、重なる部分も多いような気もするだろう。しかし両者は決定的に違う。

まず過去は、「完結」している。そして「確定」している。
ということから、変更の可能性が無い。絶対に変わりようがない。だから「過去」にはたった一つの「答え」があると言える。

 

「歴史」を学ぶとは「過去」の暗記?

 

では、歴史を学ぶということは、結論で述べたようにその「たった一つの答え」を探す営みなのだろうか。いやそれもまた違うだろう。

 

仮に歴史が過去を一つ一つ暗記していくという作業だとすると、それは英語を勉強するにあたりひたすら英単語を覚え続けるようなものだ。いや確かに、英単語をたくさん覚えてしまえば、何となく意味も通じるかもしれないが、どうしてもぎこちない。やはり英単語を覚えることも基本中の基本ではあるが、それだけでは足りない。やはり文法が、文章が、文脈の中で語る必要がある。それが歴史なのだ。

 

そして何より「過去」は過ぎ去っている。ゆえに現在の私たちが見たり聞いたりすることができない。タイムマシンが無い限り、どうやっても私たちはそのたった一つの答えにたどり着けないのだ。

 

また、過去とは極めて主観的なものである。私の過去は他者が知りえない。いや、私ですら過去はいずれ分からなくなってしまうだろう。忘れるからだ。それに私も常に変化している。考えが変わることもあるだろう。記憶ほど曖昧なものはない。

だから、過去と現在をつなぐものが必要である。それが歴史というわけだ。歴史とは過去の再構成であると言える。

 

資料から「過去」を再構成する

 

ここで重要な手がかりとなってくるのは、資料(史料)である。
公文書や何らかの文書、日記、手紙、少し後にまとめた記録、新聞、雑誌など、客観的な記録だ。資料ならば、その出来事が過ぎ去った後も残る。また他者もアクセスできる。

 

とは言え、これらの資料もあくまで手がかりに過ぎない。
いわば、完成図を誰も知らないパズルのピースのようなものだ。

 

このパズルのピースは無数に存在する。人の数だけ。人類の誕生以来、蓄積されてきた。だから明らかにされない過去もあるはずだ。
誰も全体像を知らないのだから、周期表のように、すべてのピースがいくつあって、あと何が欠けているのか、何を探せばいいのか、なんてことは誰にも分らない。だからすべての過去は明らかになっていない。

 

歴史は、誰も完成図を知らないパズルなのである

 

では、歴史がパズルなら、同じピースを使って全く違うものを表現することも可能だ。新しいピースを加えてもよい。逆に「これは別のパズルのピースだ」と言って、削ってもよい。自由なのだ。


そう、歴史に答えは無い。だから歴史は常に変化しうるのだ。


ところがこれがなかなか難しい。言い換えればそれは恣意的だと言うことだからだ。悪意をもって良いようにも悪いようにも変えられる。好きなように描けてしまう。

これは歴史の面白いところでもあり、厄介なところでもある。