歴史とは、再構成された過去である。
しかしこのような定義は現代の「歴史」や「歴史学」から生まれた解釈だ。
文字が発明されて以来、人は様々な形で歴史を書き残してきた。
が、そこから読み取れるものとは人々の「意識」に他ならないのではないか。
歴史と歴史叙述
科学として、そして学問として確立された「歴史学」は、一般的に19世紀中ごろに成立したものと言える。
そう、歴史は近代の産物なのだ。
したがって、歴史学はせいぜい150年程度の営みでしかない。
むろん、19世紀以前に書かれた歴史は無数に存在している。現在に至るまで延々と書き続けられてきた営みだ。
書かれた過去。記録された過去。
このような「歴史的な記述を残す営み」を、現代的な「歴史学」と区別するためにここでは特に「歴史叙述」と言うことにしよう。
歴史叙述は、いつ・だれが・どこで・どのように・何のために、書かれたのかによって全く異なる意味合いを持っている場合がある。
つまり、書いた人の意識や認識を想像しながら歴史叙述を読むことが重要なのである。
古代エジプト文明~「王」のための歴史~
古代エジプト文明では、紀元前2000年頃から歴史叙述がなされてきた。
何をもって歴史叙述とするか、その線引きは難しいがおよそ人間社会において文字が体系的に用いられるようになってからと言えるだろう。
まず行政に関わる事柄から記録作業が始まった。特に税の徴収=徴税業務において顕著であったと言えよう。
次に都市ごとに記録が作成されるようになった。
そして年代記のような形が増え、徐々に歴史叙述の体裁を整えていったと言える。
どこで「ただの記録」から「歴史叙述」となったかはっきりしないが、興味深いのは都市ごとに歴史叙述がなされる頃には、ある目的が明確に現れてくることだ。
では古代エジプト文明における「歴史叙述」の目的とは何か。
それは「王権の賛美」である。王を称える記録こそ、歴史叙述なのだ。
これが大体紀元前2000年前後のこと。歴史叙述の始まりと言えるだろう。
またその理解が無ければ、王室のために事実が曲げられている記述に気づくことはできない。
王権と歴史叙述
王が王たるための権力。それが王権である。
支配権は神聖視され、王は統治者以上の輝かしい存在であった。
王は血統によって決まり、その系統は世襲によって続いていく。
そもそも文字自体が支配者層に独占されていた時代だ。
したがって歴史叙述は王の命令によって残されることも少なくなく、王のための歴史である以上、多かれ少なかれ事実を多少ゆがめても、王権の正当性が歴史叙述として残ってきた。
このような話はエジプトに限らない。世界中で共通している歴史叙述の始まりだ。
古代中国においても紀元前4世紀半ばに王権を賛美する年代記が書かれたし、日本においても古事記や日本書紀などの編纂が行われている。
つまり歴史は支配の正当性を示すために必要なのであり、そこに文明差はなく、共通して王を賛美していたのである。
民衆が求めた「王を賛美する歴史」
ところがエジプトにおける「王権賛美としての歴史叙述」には、他文明とやや趣を異にする部分が見受けられる。
それは王権賛美を民衆が求めていたという側面のことだ。
エジプト文明はナイル川の恩恵を受けていた。母なるナイルだ。
エジプトはナイルの賜物である。 しかしナイル川は数か月に一度氾濫する「暴れ川」であった。したがって民衆はナイルに恩恵を感じる一方で、脅威も感じていた。
大いなる自然の前に人々は打ちひしがれ、人と自然との間に友好的な関係を求めた。
だから王を求めた。王は特別な存在だったからだ。
なぜなら王は社会の支配者であるに留まらず、宇宙の秩序を守ることすら期待される存在とされたからである。
いわば、神と人の間の存在。神の子なのだ。
神の化身としての王の姿は、人と自然の関係、いわば宇宙の秩序を司る存在。それが王ということになる。
そして、この役割を過去の王がいかに果たしてきたのかという点を記した点が、エジプトにおける歴史叙述で特徴的である。
民衆はこの記録があるからこそ安心して暮らせるのであり、自然の脅威から守られているという安心感をもって王権を受け入れた。
いかに人々がナイル川に脅威を感じていたか。
このように歴史の書かれ方はその時代の根底にある考え方や自然観、価値観を浮き彫りにするのである。
だから歴史の書かれ方に注目することは、それが書かれた社会における根本的なものを読み取る一つの目安となり得る。
文字を持つが歴史を持たなかったアーリア人の意識
一方、文字を持ちながら歴史叙述をしなかった文明がある。
古代インド文明と古代イラン文明である。
2つの文明に共通するのはアーリア人の存在である。
彼らの「時間」に対する意識の表れとも言えよう。
その意識とは何か。
『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり(2004/蔀勇造)』を要約すると、こうである。
「人間世界の歴史など、あまりにささいなことであり、ちっぽけで無意味である」と。
だからアーリア人は歴史を持たなかったのだ。
歴史にはその時代の空気が流れている
このように「歴史」にはその時代の雰囲気が映し出される。
特段、それは人々の意識や気持ちである。
記された時代の根底に流れる価値観のようなものが、歴史からは見て取れるのである。