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【書評・感想】『投資家が「お金」よりも大切にしていること(藤野英人著)』/投資に必要な8つのエネルギー

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ファンドマネージャーの藤野英人氏が書いた本『投資家が「お金」よりも大切にしていること』の書評記事です。
 
「お金とは何か」
「投資する意義とは」
 
本書ではそのような「お金の本質」に迫る内容が述べられています。
 
投資にチャレンジしてみたいと思っている人。
お金について学びたい人。
 
このように、お金に関する根本的な「マインドセット」の部分について知りたい人にぴったりの書籍かと思います。
 
ざっくり僕なりに各章の要約をまとめてみました。
皆さんのお役に立てれば幸いです。
 
(※最初に断っておきますが、この本は「お金について学ぶ」ための本です。
したがって具体的に「何が儲かる」とか「A社が大化けしそう」とか、そういった目先の利益の話は一切出てきません。あしからず)
 

【書評・感想】『投資家が「お金」よりも大切にしていること(藤野英人著)』

 
 
 

目次『投資家が「お金」よりも大切にしていること』

 
  1. 日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目
  2. 日本をダメにする「清貧の思想」
  3. 人は、ただ生きているだけで価値がある
  4. 世の中に「虚業」なんてひとつもない
  5. あなたは、自分の人生をかけて社会に投資している、ひとりの「投資家」だ
 

【第1章の要約】日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目

 

この章のポイント

 
日本人は「お金儲け」に対して悪いイメージを持っている一方でお金が大好きである。しかし、貯め込むだけ貯め込んだお金は一切使おうとしない。なぜなら日本人が信じているものは「お金」だけだからだ。
 

要約

 
日本人は「お金儲け=悪」とイメージする。

この傾向は老若男女問わずみられる。
しかし、日本人の個人金融資産は「現金・預金」の比率がもっとも高い。

これは諸外国と比べても突出している。日本人は「お金」が大好きなのだ。
ただしこの「好き」は「お金を使うことが好き」という意味ではなく、「お金そのものが好き」という意味である。
 
例えば日本人は寄付をしない。
日本は先進国の中でもっとも寄付をしない文化の国だ。
 
あれほどの大災害・悲劇に見舞われた東日本大震災であっても、日本国内で集まった義援金の額をみると、日本人のケチな本性が明らかになる。
 
また日本人はお金に対して何も考えていない。
 
例えば外資が日本企業の買収に乗り出すと「ハゲタカだ!」と騒ぐ。
しかしその一方で、株がひとたびブームになれば日本人はすぐに飛びつく。
 
そらブラジルだ、中国だ、インドだ、などと次々と投資先を乗り換えていく。
投資先の企業で働く従業員のことなどまったく考えていない。
 
儲かると思えば飛びつき、危険を察知すればすぐに手を引く。
これを「ハゲタカ」と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。日本人こそ「ハゲタカ」だ。
 
また日本人を語るとき、よく「真面目さ」がクローズアップされる。
しかしそれは規則を守ったり、時間を守ったり、法律を守ったりするような、いわば「形式的」な真面目さに過ぎない。
 
「真面目さ」とは本来「本気」や「真剣さ、誠実さ」を指す言葉だ。
日本人はお金について何も知らず、ただ貯め込むことに執着している。

使うことの意味も、投資することの意味もまるで分かっていない。
これはお金に対して不真面目だと言わざるを得ない。
 
お金に対して真面目であるためには「お金の本質は何か」を考える姿勢が必要だ。
人も、会社も、政府も、NGOもNPOも、宗教すら信じていない日本人がなにを信じているのだろう。結局は「お金」である。日本人は「お金教」の熱心な信者なのだ。
 
あなたに「お金より信じられるもの」はあるか?
 

【第2章の要約】日本をダメにする「清貧の思想」

 

この章のポイント

 
日本人は「清貧」「汚豊」しかないと考えるが、実際には「清豊」も可能である。
むしろ成功者ほど「清豊」である。資本主義経済におけるビジネス成功の秘訣は「清豊」にあると言える。
 

要約

 
「清貧」は日本人の誰もが共感を覚える思想である。
 
しかし本来の「清貧」とは「理念に生きるために、あえて豊かな生活を拒否する」という姿勢である。それがいつの間にか「豊かになるためには、理念を捨てて汚れてなければいけない」という意味に変質してしまった。
 
「貧しくて汚い(汚貧)」は論外だが、日本人の多くは「清らかで貧しい(清貧)」か「豊かで汚い(汚豊)」しかないと思い込んでいる。
 
しかし「豊かで清らか(清豊)」も可能である。
これは単なる「理想論」ではない。ビジネスでお金を儲けるという観点から言っても「清豊」は理に適っており、むしろ成功者ほど「清豊」であると言える。
 
創業や株式を上場するには、途中いくつもの「山」を越えなければならない。
そのためには同志を集めて必死に働き、顧客から商品・サービスを長く支持してもらう必要がある。
 
汚いこと(客を騙すなど)で儲けてもそれは短期間に限定され、長期に渡った成功はあり得ない。そして現代において悪評はすぐに広まる。悪事は白日のもとに晒され、厳しく糾弾されることになるだろう。
 
ビジネスは一度でも信用を失えば再起は難しい。
だからこそ成功者は「豊清」を大前提にビジネスを動かしているのだ。
 
そもそもビジネスは、誰かに怒られるから法律を守ってやってるわけではない。
「ビジネスを創出すること」は、決して「金儲けをすること」が目的ではなく、「世の中に新しい価値を生み出し、提供する」ことに意義がある。
 
新たなビジネスや成功は新たな雇用を生む。
ビジネスは社会を活性化し、人々をより豊かにしていくものだ。
 
公務員でも政府機関でもない、いち民間人のビル・ゲイツスティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグが世の中をダイナミックに変えた事実をよく考えてほしい。
 
資本主義経済においてビジネスの成功は「善」なのである。
そしてその成功は「清豊」によって支えられている。
 
一方で日本人は、いち民間人の立場で私財を投じ社会貢献しようと思わない。
社会のお金が巡り巡って自分に返ってくるとは、はなから信じていない証拠だ。
 
汗水たらして稼いだお金にだけ価値があり、ラクして稼いだお金には価値が無い。
そう考える日本人は「清貧」の美徳から外れる人間に対して、牙をむく。
 
事業に失敗した者に対して「ざまあみろ」と。
ニート、フリーター、無職に対して「自己責任だ」と。
 
世の中を変えることができるのは「国」「お上」、「将軍」、「お代官様」だけなのか。個人の立場で出来ることは無いのか。
 
「アリとキリギリス(イソップ童話)」に出てくる「アリ」のごとく、「遊んでいた人間は餓死してもいい」と言う。これが日本人の「美徳」でいいのか。
 

【第3章の要約】人は、ただ生きているだけで価値がある

 

この章のポイント

 
経済活動は、生産することはもちろん、消費することも含まれている。
なぜなら需要があって初めて、供給が生まれるのであり、その逆はあり得ないからだ。
今の世の中のありようをつくっているのは、消費者たる私たちなのである。
 

要約

 
生産することも経済活動だが、消費することも経済活動である。
したがって、ただ生きているだけの人間にも価値がある。
 
例えば乳幼児は1円も稼いでいない。また専業主婦も1円も稼いでいない。
しかし必ずしも無価値とは言えない。
 
なぜなら、乳幼児がいるからこそベビー用品産業が存在するのだし、専業主婦向けの様々なサービスが日々生まれているからだ。
 
消費することで経済を動かしている。
 
社会問題ともなった「ブラック企業」は、実は消費者が安さを求めることに原因がある。本来、供給する側に値下げする理由はない。誰だって、高く売りたいだろう。
 
しかし、消費者が極限まで安さを求めればそれに応じざるを得ない。結果、削ってはいけない部分まで削ってしまう。
 
こうしてブラック企業が生まれる。
ブラック企業は私たち消費者が生み出しているのだ。
 
これまで述べてきた通り、経済は互恵関係で成り立っている。
生産者が一方的につくり出しているわけではない。
 
経済の役割とは「お金を通してみんなの幸せを考えること」にある。
消費者も経済主体なのだから、私たちは「良き消費者」として行動しなければならない。
 
同じ値段でも、ただなんとなく買うのと、きちんと考えて買うのとでは意味が違う。
自分なりに考えた結果「よい」と思ったものを買う。これこそが「良き消費者」につながる第一歩だ。
 
そして「良き消費者」として消費することは、商品やサービスを提供している企業やそこで働く従業員を応援することにもなる。
 
つまり「消費をすること」は「社会を創造すること」なのである。
 

【第4章の要約】世の中に「虚業」なんてひとつもない

 

この章のポイント

 
企業には「顧客目線」が不可欠である。
そして真面目な企業は常に「社会で何を実現したいか」を考えている。
世の中にあるすべての会社は、意味があってそこに存在する。虚ろな職業など無い。
 

要約

 
日本人はよく働くが、それほど仕事が好きなわけではない。
職場は嫌いで、同僚のこともあまり好きではなく、仕事の内容にも不満があり、社内のコミュニケーションも希薄で会社に対する忠誠心も低い。
 
しかし、人間が大型哺乳類との競争に勝ちこんにちの繁栄を築いている理由は、血縁関係のない者同士が仲間となり、少ない食料を分かち合った結果にある。
 
したがって、会社は本来「人生の墓場」などではなく、むしろ人間が人間らしくある場所なのである。これはヒトの歴史から導き出される結論だ。
 
最近、NPOやNGOで働きたいという若者が増えているが、これは会社に対する不信感の表れではないか。
そしてこれもまた「NPO・NGO=清貧」、「会社・金儲け=汚豊」という短絡的な考え方ではないか。
 
NPOやNGOは、奉仕するためには頭を下げ、相手に罵倒されてでもお金を集めなければ活動が成り立たない。これは単なる金儲けより非常にシビアなものだ。
 
誰かに施しをして「良いことしたなあ」とハッピーな気持ちになりたいだけなら、それは実に甘い考えである。知識と知恵と責任感が欠けていると言わざるを得ない。
 
会社に対して最初からレッテルを貼らず、もっと幅広い視点で見ることが正しい企業観の形成につながる。
 
社長の役割は「お客さんの目線で徹底的に自社を見つめること」であり、会社の目的は「お客さんにとって最高のものを提供すること」である。
 
どんなに頑張っていても、出された料理がマズければそれは失敗だし、どんなに手を抜いていても出てきた料理が最高に美味しければ成功である。
 
真面目な会社の経営者は、常に「自社がどうあるべき」かを考え、発信している。
そして真面目さは社是や経営者によって語られる「ビジョン」や「ミッション」など、「ミッションオリエンテッド(使命志向)」な部分に現れる。
 
会社の良さ・真面目さは、製品の良さ(プロダクト志向)で測るべきではない。
その会社が提供する商品やサービスを通じて、何を実現したいのか、そして世の中をどう変えていきたいのかを表現しているかどうか、ここに注目すべきだ。
 
会社は、人が生きているだけで価値があるのと同様、そこにあるだけで価値がある。
これは世の中すべての会社に言えることだ。
 
もちろん、真面目な会社、不真面目な会社、儲かる会社、儲からない会社、楽な仕事、辛い仕事、汗をかく仕事いろいろあるだろう。
 
しかしそれらには全て「お客さん」がいて、お客さんがいる限り価値がある。
そしてその会社がある限り雇用を生み出し続けている。
だから世の中に「虚業」などというものは存在しない。
 
業種を「実業」と「虚業」に分ける人がいるが、これはまさに職業に「貴賤」があると思っているのと同義である。これは究極の不真面目さと言える。
 
なぜならそれは他人を貶めて、自己を正当化しようとしているからだ。
相手のことを知ろうともせず批判する姿勢こそ、まさに虚ろである。
 

【第5章の要約】あなたは、自分の人生をかけて社会に投資している、ひとりの「投資家」だ

 

この章のポイント

 
投資は「お金を出して、お金を得ること」だけにとどまらない。
投資とは「自分の持っているエネルギーを投入して、未来からお返しをもらうこと」である。
私たちはお金や時間、様々なエネルギーを投じて常に投資している存在と言える。
 

要約

 
投入するエネルギーには、8つの種類があると考えている。

すなわち「情熱・行動・時間・回数・知恵・体力・お金・運」である。
これらすべてを乗じたものが、投じるエネルギーとなる。
 
「運」について注釈すれば、クールな姿勢が望ましい。

つまり「勝っても驕らず、負けても腐らないマインド」である。
そうすれば失敗した時の失望感はやわらぎ、成功した時も見当違いな成功要因に憑りつかれずに済む。
 
未来からのお返しには、5つの種類があると考えている。
すなわち「プロダクト(モノ・サービス)・感謝・成長・経験・お金」である。
 
これもエネルギーと同様に、乗じたものが未来から返ってくる。
 
よく混同されるが「自己投資」「投資」は意味合いは微妙に異なる。
 
前者は「自分のため」が出発点であり、後者は「世の中のため」という目的がある。
つまり「利己的」「利他的」かという違いがある。
 
なぜ、世の中のために「投資」するのかというと、世の中がよくなればその中で生きる我々にもきっと良い影響があると、確信しているからである。
 
企業に投資することは、直接的に世の中に働きかけ、より良くすることであり、自分に投資すること(自己投資)は、自分を通じて世の中を良くしていくことである。
 
最終的に両者はつながるが、「自己投資」と言うとやや閉じた印象である。
(会社が潰れても自分だけは生き残るため、など。内向きな投資観)
 
投資先を考えるということは、どういう未来をつくるかを考えることだ。

お金は、目に見えない「エネルギー」の一部分に過ぎない。
だから「投資=お金」と考えてしまうと、投資に対する視野が狭まる。
 
もしいま本を読んでいるとしたら、本の代金(お金)や時間、集中力を投資していることになる。その瞬間にお金を使っていないとしても、未来で役に立つならばそれは投資なのである。
 
したがって私たちは常に何かに投資している。
私たちは自分の人生をかけて投資している「投資家」なのだ。
 
消費も生産も投資もすべて、投資活動である。
私たちはこれらを日々の生活の中で一体的にとらえ、自覚的に投資していく必要がある。
 
とは言え、「正義は勝つ」と言っても実際には負けることだってあるだろう。
真の投資家は、このような「理想」と「現実」の間で揺れ動いている。
 
しかし理想を追い求める姿勢は常に求められる。
明るい未来のために投資しているのである。
まだ見ぬ大陸を思い描かずに、どうして大海原に船を漕ぎ出せるだろう。
 
投資家としての第一歩は人を信じられるかだ。
人を信じるからこそ、自分のエネルギーを投じることが出来る。
 
最後の決断は論理的ではないかもしれない。
リスクを恐れる気持ちは分かるが、完全にその不安が取り除かれることは無い。
多少楽観的でも「エイヤ!」と賭けてみる勇気が投資家には必要である。
 

まとめ

 
この本が取り上げている根本的な問題意識は、「金儲け悪玉説」「虚業思想」です。
 
例えばインターネットで稼ぐ(クラウドソーシング、ブログ、アフィリエイト、KDP、note、BASE、minne、せどり)」という手法について、あなたはどのような印象を受けるでしょうか。
 
「ネガティブ」な印象だとすると、まさにこの本で問題としている部分です。
 
インターネットで稼ぐことも、決して虚業ではありません。
消費者に対して、確かに価値を提供しているからです。
 
視野を広げるためにも、いま自分が囚われている思考の「クセ」に気づく努力が必要ですね。

1つ手法として挙げられているのが「良き消費者」トレーニングです。
第3章で紹介されているのですが、単純に「1か月の消費を全部記録しなさい」というものです。要するに、家計簿ですね。
 
買ったものを1週間でもいいのでとりあえず記録してみて、眺めてみると意外と消費だったり浪費だったり、思いがけない金額を散財している。自分が持ってるお金というエネルギーを何に「投資」したのか明確になる。そんなわけです。
 
簡単ですから、こういう小さなところから「お金」に対する態度を改めていくのもいいかもしれませんね。
 
 
 

感想

 
イソップ童話の「アリとキリギリス」の話が出てきましたが、
もしかしたら「キリギリス」も「音楽」というエンターテイメントを生み出し、その価値を理解してくれるアリにめぐり会うことが出来れば、アリよりも圧倒的に豊かになれたかもしれませんね。
 
あと童話つながりで言えば、第5章の「谷底の神父」という寓話が面白かったです。
「人を信じないこと」に対する皮肉がビシビシ伝わってきました。
 

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投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)