最近、「仏教の中で自分の考えに一番フィットする宗派ってどこなんだろう?」と考えていたんだけど、どうやら答えは「浄土真宗」らしい、という結論にたどり着いた。
とりあえず、忘れないようにメモしておく。
(安心してください。このブログは乗っ取られていませんし、誰かにお金をもらって書かされているわけでもないですし、宣伝でもないですし、カルトにハマったわけでもないです。大丈夫です笑 ただのメモです)
浄土真宗のここがすごい
✅ メンテナンスフリー
阿弥陀如来が全部やってくれる。他力本願ガチ勢。
✅ コスパ最強
信じるだけ。もう阿弥陀如来の名前を聞いた時点で成仏確定。お金も儀式もお布施も特に不要。無料で“成仏パス”もらえる感覚。
✅ 面倒ごと一切ナシ
ルールが少なく、形式に縛られない。だから日常生活とほぼ変わらず信仰できる。
ここまで来ると「信じる信じない」とかいう次元じゃなくて、「もう、どうぞお任せします」って感じになるんだよね。まさに“他力本願”を正しい意味で体感した気がする。
救いが広すぎて逆に不安?でもそれがイイ
「こんなこと書くと罰当たりとか自己中とか言われそうだけど…」って思いながらも、浄土真宗はどんな人でも救うよというスタンス。自分みたいなどうしようもない人間でも漏れなく救ってくれるらしい。
この懐の深さが、浄土真宗であり、親鸞聖人であり、阿弥陀如来ってわけだ。
日本人の宗教観の話も少し
日本で明確な宗教教育ってあまりないから、無自覚に仏教っぽかったり神道っぽかったり、クリスチャンだったりアニミズムだったり儒教っぽかったり…とにかく混沌としてる。自分も例外じゃない。めちゃくちゃだよ、ほんと。
でも、そんな中で「どんな死に方をしても成仏できる」っていう浄土真宗の教えに出会って、ちょっと心が軽くなった。すごく“お得感”があるんだよね。いやこんな書き方をするとカルトにはまった人そのまんまっぽいけど、特に死に方にこだわりませんよ、枕経も山盛りご飯もお団子もお線香もロウソクもいらないですよ、そこが大事じゃないですからってスタンスが気に入った。
5年前の自分と今の自分
そういえば、5年前のブログで「悪魔合体」ってネタを書いたじゃないですか(笑)
あれから自分なりに仏教についての“解像度”が上がってきた。あのときは「浄土真宗」って名前しか知らなかったけど、今思えば「お東」(真宗大谷派)の寺だったっぽい。
メジャーだけど、そりゃそうだよな
個人的にはマイナーなものが好きで、「俺にしか分からない良さ」みたいなのを追い求める美学もある。でも、浄土真宗って、日本でいちばん信者が多いんだよね。そりゃそうだわ、だって簡単だもん。
阿弥陀如来に任せるだけでいい。アホでもできる。俺でもできる。それはもう信者が増えるわけだ。
究極のシンプル信仰
極論を言えば、これは「私と阿弥陀如来だけの話」になる。寺も坊さんもいらない。葬式も仏壇も法名もいらない。極めてシンプル。
いつか何らかの理由で死ぬ。その先は阿弥陀様にお任せ。それだけ。
弱点もあると思う
ただし、浄土真宗と阿弥陀如来の“弱点”を挙げるなら、それはあまりにも“何もしなくていい”ということかもしれない。
修行も儀式もなく、日常生活のままで救われるというのは、逆に「本当に信じているのか?」「これでいいのか?」と不安になることもある。なんだろう、あまりに人間的な悩み。何かしてないと不安というか。厳しいルールがあれば守ることで“信仰している感”があるけど、浄土真宗にはそれがない。贅沢な悩みだけどね。
まとめ
お釈迦様がここまで言ってたのかは分からないけど、日本において法然上人が浄土宗を打ち立ててくれて、親鸞聖人がそこから浄土真宗を広めてくれて、本当に良かったなと思う。
なんかよく分からない怪しい宗教にハマるよりも、「もう全部お任せでOK! あーもうあなたは80年ぐらいで死ぬ程度の雑魚なんですから、何もしないで私に任せてください。特に手伝うこともないです。何もしないでそのままでいてください。気付いたら極楽浄土です。茶でも飲んでてください」って言ってくれる阿弥陀如来の方が、はるかに“心のワクチン”として優秀なんじゃないかとすら思っている。