『ゾンビランドサガ』第7話がいかに面白かったか、自分なりの解釈を書いておきます。
ポイントはやはり、純子が問題提起した「アイドルとファンの関係性」についてでしょうね。
昭和アイドルのプライドがある純子としては、握手会やチェキ会など到底受け入れられるものではありません。
自らの信念に反しますからね。
幸太郎はこの問題にどう決着を付け、純子はどのように納得し、愛と純子がもう一度揃ったフランシュシュはどのようにパワーアップしたのか。
これらの点についてネット上の意見を参考にしつつ、自分なりに解釈してみました。
僕がどうゾンビランドサガを楽しんでいるかって感じの記事です。
お楽しみいただければ幸いです。
- 純子の戸惑い/アイドルとファンの関係性
- 【サキ論】サキがたえも含めてみんなの意見を聞いていた/リーダーとしてフランシュシュをまとめようと努力していた
- 【幸太郎論1】ドアを壊して入ってきたのは幸太郎だった/ドアを直させたのも幸太郎だった
- 【幸太郎論2】「クルマでドーン!」で純子が合流しやすくなった
- 【歌詞論】「アツクナレ」と「目覚めRETURNER」の歌詞のシンクロ/各部分の解釈について
- 【愛考】自分の代わりはいくらでもいる
- 【さくら考】さくらにとっては「リベンジ」となるステージ
- 【追伸】純子、キノコになる
- まとめ
純子の戸惑い/アイドルとファンの関係性
第7話のテーマはこれですね。この回はこれが全てと言っても過言ではない。
「前回のゾンビランドサガ」のコーナーでさくらが言っていたように、第6話で問題となったのは「アイドルとファンの関係性」でした。
第7話では、この問題をどのように解決するのかがテーマです。
これは単に、平成アイドルの愛と昭和アイドルの純子の反りが合わなくて揉めているわけではありません。
愛のアイドル像、純子のアイドル像をいかに統合するのか。
これが重要です。
そうでなければどっちかが折れて、どっちかの路線を選択して活動していくのか。非常に気になるところでした。
これは2人だけの問題ではなく、フランシュシュの活動方針全体に関わってくる大きな問題です。
しかも、愛も純子も言ってること自体、どちらも間違っていないのが難問なんですよね。間違ってるとか間違ってないとかそういう問題じゃない。
ただ、グループとしてアイドル活動をしていく以上、活動方針は1つに定めるべきです。
そう考えると愛が正しいのか、純子が正しいのかジャッジする必要が出てきますし、ジャッジした場合には愛か純子のどちらかが妥協する必要も出てきます。
ここにヒントを示したのが、ほかならぬ幸太郎Pであったことは驚きでしたね。
あんなテキトーっぽいヤツがwww
アバンでは「そんなモンお前らでなんとかしろ! このボンクラゾンビィー!」とさくらの助けを突っぱねてます。
それでいて、サキに代わって純子の傷心ハートに土足で踏み入っていく幸太郎P。
どこの敏腕プロデューサーさんなんだろうか、って思いました。笑
幸太郎が純子に「前提」として語ったことは、主に以下の3つでした。
- 時代は変わった。アイドルのプライベートは隠しづらくなったし、アイドルとファンの距離は劇的に近づいた。
- ただし、アイドルの本質(ファンに夢を与えたい、歌やダンスで笑顔になってもらいたい)は30年前も今も変わってはいない。
- アイドルの変化は「求められるアイドル像」の変化に過ぎない。決してアイドルの志が低くなったわけではない。
至極当然のことを言っています。理解できますよね。まさにその通りです。
だから普通ならこの前提に続けて「だから純子、その気持ちを大切にしつつ、時代に合わせて『握手会』と『チェキ会』に出るべき」ってセリフにつながるところだと思うんですよ。
純子だって、頭いいですからね。分からないなりにも分かろうと努力していて、時代が変わったことだってちゃんと認識しています。
純子自身、そう言われると感じ取っていたからこそ先回りして「いろんなものが昭和と違うのはわかります。でもやっぱり、私にはできないんです」と先に言っちゃってますからね。
でも、ここからが幸太郎Pのすごいところなんだ。
第7話の感動するポイントなので、大事です。
「なら、やらなければいい」って言うんですよ。
シビレましたね。このセリフには。
ただの仕事の放棄を容認する旨の発言ではありません。
昭和アイドルの矜持にかけて、アイドルとファンの間には常に一線が置かれているべきと考え、握手会やチェキ会など言語道断という気持ちや活動方針は「純子の個性」として扱うんですね。
時代遅れではなくて、個性だって言うんですよ。
再定義です。
時代遅れなんかじゃないんだ。個性なんだ。私らしさなんだ。私は私でいいんだ。
これを認めるっていうのがシビれます。
そして「個性」と捉えるPの方針が素晴らしい。
「無理に迎合する必要はない」って台詞はまさに、ホームページが阿部寛のホームページみたいなのにすでに表れていたんですね。マジかよって感じですが。
面白いですよね。
変なプライドでも、時代遅れでもない、純子の個性・キャラ。
この解決策はなかなかうまいと思いました。
さらに続く言葉も、グループアイドル(フランシュシュ)のプロデューサーならではだったと思います。
幸太郎は「ただし、今それを個人でやるのは難しい」とも言うんですね。
なるほどつまり、純子が一人でそれ(握手会拒否、チェキ会拒否)を通すと、時代が求めるアイドル像に反するので「ただの時代遅れ」として世間には映る。
「尖った個性」とはみなされない。
だからこそ、求められるアイドル像と純子のアイドル像を両立するためにも、純子には「フランシュシュ」が必要だ、と諭すんですね。
「尖った個性をカバーするゾンビィの仲間が必要なんだ」とか「フランシュシュは時代を超えて互いの想いを支え合うために存在する」というセリフの意味ですね。正に。
昭和のアイドル、30年前のアイドル純子が、平成30年のアイドル像を実現しようとすると本人のプライドに反する。
しかし、マーケティング的に求められるアイドル像を実現しないと、淘汰される運命にあることも事実。
つまり、純子が自分の努力で「時代が求めるアイドル」になろうとすると「昭和アイドル(自分の矜持)」は否定されて「(自分がなりたい)アイドル」になはれないし、逆に「昭和アイドル」を優先すると時代が求めていないから生き残れない(職業アイドルとしてはやっていけない=アイドルになれない)ってことです。
だからこその、グループアイドルですよ。
そこにはまず「愛」がいますからね。
グループアイドル・フランシュシュなら、愛を筆頭に「今のアイドル像」を実現できる人がいる。
純子もフランシュシュとして活動するからこそ、アイドルとして活動できる。
それが有能プロデューサー・幸太郎が言ったことの意味だと思います。
そして今、サガロックで愛は「落雷のトラウマ(平成アイドルの死)」と戦っている。
愛だって、フランシュシュを、純子を必要としている。
これを伝えているんです、幸太郎Pは。
だからこその「アイドルならばステージに立て!紺野純子!」です。
最高っすね。
純子は、愛との練習期間を思い出すわけですよ。
純子がミスったときの、愛の「大丈夫、私がフォローするから」ってセリフが頭をよぎるんです。
幸太郎が残していった箱を開けると「アイドル衣装」が入っているわけですよ。
これはアツクナルしかないじゃないっすか。
アイドルとファンの関係性、純子と愛の対立、この辺の問題に決着をつけた幸太郎Pは有能と言わざるを得ない。認めざるを得ない。
【サキ論】サキがたえも含めてみんなの意見を聞いていた/リーダーとしてフランシュシュをまとめようと努力していた
上までがこの記事で一番伝えたかったことです。
ここからは、ざっくり思ったことをまとめて書いていきます。
まず第7話は、サキのリーダーシップの変化も楽しめたと思うんですね。
OPまでの間、さくら、サキ、リリィ、ゆうぎり、たえの5人で「純子不在」問題をどうするのか話し合っているのですが、サキが皆の意見を聞き、たえにもちゃんと意見を求めている点が特徴的だったと思います。
まあ、結局たえはまだ覚醒してないので「ア゛ーア゛ー」しか言えず、サキのほうも恐らく何を言ってるのか分かってないと思いますが、たえもフランシュシュのメンバーの1人と認識している点とが見て取れます。
第4話では、「練習するか、観光するか」についてサキはたえに意見を求めませんでした。
態度が違いますね。
また今回のサキはリリィに対しても、「ちんちく」呼びは相変わらずとは言え、きちんと意見を聞いて尊重しようとしている姿勢は、やはりサキちゃんマジリーダーです。
で、出そろったみんなの意見は次の通り。
さくら「純子も愛も抜きはダメ。でもどうしたらいいか分からない」
リリィ「サガロックには出るべき。たとえ純子抜きだとしても。やむなし」
ゆうぎり「純子と話し合いの道を模索すべき」
ってことで、各自が意見を出したところで自然にまとまるはずもなく、強硬派のサキとしては「練習しないと時間がない」ことはすでに分かってるので、万事解決となるよう「純子を無理にでも引きずり出そう」と考えるのですが、当然さくらに止められます。
でも意外なことにサキはさくらの制止を聞いて、すぐやめるんですよね。
「どっちだよ」ってリリィに毒づかれるのはごもっともなんですが、サキらしからぬ「穏健」な対応ですよね。
ちゃんとリーダーやってるな~って思いました。サキちゃん、かわいいなあ。努力家萌え。
やっぱりサキのキャラクターからして、どう考えても「足でドーン!」するのはサキのほうじゃないですか。
「立場が人を変える」って言うんですかね。
サキはリーダー枠に自薦で就任(?)してますからね。
その自負、責任感が自己抑制になっているってのも非常に面白いです。
どっからどう見ても「オラオラ系」のサキなのに、リーダーというポジションが自分の暴走を抑えているのがなかなか凝ってます。
(とは言え、慣れない「抑え役」に回ることで、自分で自分を振り回している感はありますが……)
あと、愛の体調も心配しているところも良いですねえ。非常にいいですよー。
リーダーとしてメンバー全員を見てるなあって気がします。俯瞰してるって言うんですかね。
愛と純子を比べると、純子が逃げ出して愛がツンツンしてる状態だと、若干愛のほうが悪役っぽいので、みんなの意識は虐げられた純子に集中しています。
当事者の愛ですら、「どうしようもないでしょ!? 純子が自分でなんとかするしかないじゃない!」というセリフが出るくらい、かなり純子の様子を気にしています。
しかし愛が「純子のパートも自分がやる」と言ったとき、愛の心配を真っ先にしたのはサキでした。
「あたしはお前の話をしてんだ」と。
愛は「余計なこと考えてる場合じゃない」なんてことを言ってますが、それはやっぱり口先だけの事。
実際、愛の練習は「足と腕と頭がもげるほど」のオーバーワークになってます。
愛は夜も一人で練習しようとしてましたよね。
サキとしては、前回第6話における「土管トーク」で愛の死にざまを知っているだけに、今回のサガロックが愛にとっていかに大事なものか分かっています。
だからこそ、サキは特に愛のことを気にかけていたんじゃないかなあって思ってみてました。
【幸太郎論1】ドアを壊して入ってきたのは幸太郎だった/ドアを直させたのも幸太郎だった
幸太郎については、すでにサクッと書いた通り「あいつ有能じゃんwww」ってくらいなんですが以下深読みの深読みです。
基本的に幸太郎のアクションやセリフは「ギャグ」なんで、そこまで深読みするのもバカみたいですが、この記事は遊びなのであえて深読みしてみましょう。
まず「足でドーン!」からの「バリケード作るのはゾンビィに襲われる側じゃい!ボケー!」について。
これは「今どきの職業アイドルが置かれている状況」を表してるんじゃないかなって思ってます。
幸太郎はバリケードを破って、純子が立て籠もる部屋に入ってきました。
純子が出てこない、人を近づけないようにしているとなると、もはやこうするしか方法はないですよね。
そういった意味もあります。
そこで、たとえばあの部屋が「純子の心」を象徴しているとすると、そこへ無理やり(力づくで)侵入してきたのも幸太郎と言えます。
本来、無断で人の心に踏み込んでくるような「オラオラ系」の人と言えばフランシュシュにはただ一人、サキしかいませんが、サキはリーダーなのでさくらに制止された以上何もできません。
だからこその幸太郎です。
このあとのセリフで幸太郎自身が語ったことですが「プライベートが隠しづらくなった。ときにアイドルの私生活もな」とあるように、アイドルが隠れる場所なんてどこにもないんですね。
プロを自称するアイドルならなおの事。
これ自分で実践して、純子に伝えてるんじゃないですかね。
つまり、アイドル純子のプライベートに幸太郎が土足で踏み入るような時代になったってことをギャグ調に表現しているのです。
ただ、それだけだとただの無法者です。
だから立ち去るとき「それと、ドアはお前が直しておけ」って言って、幸太郎が部屋を後にするんだと思います。
まあ、もちろんあれもギャグなんですが、僕は「再び、心を閉ざすことを認めている」シーンだと解釈しています。
ほんとただのこじつけですけど、あの部屋が純子の心を表しているとすると、「お前がドアを直せ」ってことは「また心を閉ざしてもいい」って言ってるようなもんです。
土足で入ってきて、ひと通り言いたいことを言い終えたら去って行く。再び心を閉ざすも開くもお前次第。あとは好きにしろ。
って感じですかね。
いっかい、仕切り直すためにドアをこじ開けるけど、また心を閉ざすなら仕方ないって態度です。
かなり優しいと思います。
自分で破って入ってきて、なに言ってんだ状態ですが、幸太郎なりの気遣い、優しさなんじゃないかな~。笑
純子の意思を最大限尊重していますからね。
言って、聞かせて、箱を授けて、昭和アイドルの矜持を認めた上での発言です。
このあと純子はドアをインパクトドライバーで直すわけで、単に「まじめカワイイ」だけなんですが、もう一度自分の心、矜持、プライド、意思を確認したうえで、あの名シーン「純子の柵越え」につながります。
柵(ジレンマ)を乗り越えたんですね、純子は自らの足で。
【幸太郎論2】「クルマでドーン!」で純子が合流しやすくなった
引き続き幸太郎を褒めるだけです。笑
純子が柵を飛び越えて、クルマの前に立ちはだかって「待ってください!」ってシーンは、純子が幸太郎の諭されたことを受けて気持ちが変化し、「自分のアイドル像はそのままにフランシュシュを自分の居場所と認めた」重要な部分だと思います。
まさに「乗り越えてきた」のが純子。
乗り越えたのは時間。30年という時代の流れです。
で、そこからの「クルマでドーン!」。
最高のギャグwww
普通はクルマが寸前のところで止まるとこなんですが、これが止まらないっていうねwww
さすがゾンビランドサガ。アイドルアニメだと思ってたら、ゾンビィアニメなんだよなあこれwww
まあ、相手はゾンビィなわけで、罪には問われないってことですかね。
さてそれは良いとして。
あれで、ちゃんとさくらの記憶が戻る伏線でもある。
ギャグのくせにニクい演出しやがるぜしかし。
あと、僕が大事だと思ったのは、このいかにも昭和みたいな純子の再合流シーンに合わせて、クルマに轢かれてグチャってなってる純子に対して幸太郎がかけた言葉ね。
さくら『純子ちゃん!』
幸太郎「手を出すな!」
さくら『なんでですか!』
幸太郎「立て純子。お前はこんなことで負けるような女じゃない!」
この辺りね。
もちろんこれはギャグで、サキにも「てめぇが跳ね飛ばしたとやろが!」ってツッコまれてますが、あれはあれでいいんですよね。
だって、純子がその流れ(前振り)があったからこそ「私も…… 行きます……! だって…… アイドルだからっ!」って昭和チックに言えましたし。
「私は、昭和のアイドル! 紺野純子です!」で「アイドルの矜持」を確認できました。
純子が折れたわけではない証明です。
時代に迎合しなかった証。これが大事なんだ。
ま、アニメなんでねこれ以上とやかく言ってもしょうがないですけど、最初から最後まで無理やりにでも「(純子仕様の)昭和チック」な演出があったからこそ、純子派またフランシュシュに再合流できたわけです。
すんなりわだかまりなく再合流。
幸太郎P、有能やんけ!(超好意的な解釈)
【歌詞論】「アツクナレ」と「目覚めRETURNER」の歌詞のシンクロ/各部分の解釈について
サガロックで披露された2曲についても言及しておきます。
サガロックでは2曲歌ったんですが、それぞれの歌詞とそのとき歌ってるメンバー、画面に映ってるメンバーの心境が一致していて、「なかなか熱いな」って思いました。
いくつか紹介します。※そのほか色々書いてますが。
アツクナレ
まず雷鳴のなか、愛がメインで歌い始まるんですよ。
分かり合えーず
空回りばかり
慣れ合っても
向き合えないこと
たくさんあって
邪魔だった(もつれて)
心かき乱れ(重ねて)
放り出したい
もうねボロボロ。愛ちゃんがボロボロなんだよ。
伝説の平成アイドルがあんだけ練習しても、強烈なトラウマなんだよ落雷は。
だって自分が、アイドルの絶頂期で死んだ原因だからね。そりゃ怖いよ。
歌もダンスも恐怖に引きずられて、まるでダメになってしまう。
最後の「放り出したい」なんか、ほとんど愛の心の叫びじゃん。
そこで、すかさず出てくる純子ちゃんなわけですよ。
耐えきれないのーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(もの凄い声量で良く伸びる声)
もう純子ちゃんのイケボマジ興奮する。
歌詞も純子の心のうちに重なるかのように「耐えきれないの」だからね。
ぼろぼろな中でなんとか歌ってる愛の後ろで、あんな顔して、それも雨のなか純子も歌ってるんですよ。
耐えきれるわけないじゃないですか。
優しい言葉と共に、愛に手を差し伸べてやるんですよ。これが熱い。熱すぎる。
ソロアイドルが「大丈夫、私がフォローしますから」って言うんですよ?
もうたまらないじゃないですか。
※ちなみに、第3話と違って倒れた愛ちゃんに誰一人駆け寄らないところが良いよね。第3話ではみんな気遣ったからこそ駆け寄って曲がストップしちゃうんだよね。でもプロとしては歌い続けなければいかない、踊り続けなければいけない。そういう意思が伝わってくるよね。
そこからの歌詞もまたいいんだ。
自問自答なんてNo No No
Ah目を開けて
自分解き放てDance Dance Dance
Ah甘えないで
熱くなれライブ!
思い切ってぶつかって
痛みを分け合って
世界に歌声響かせ
くぅ~~~~~純子、またイケボやん。(歓喜)
たまらん。
純子のアイドル像は人々を魅了することにある。だからこそ、この「世界に歌声響かせ」の部分が良いんですよ。最高!
熱くなれファン!
絶対伝わるって
必死に舞い踊って
みんなを笑顔にできるはず
We can do it
強く眩しいあの光を
掴み取ろう
で、最後の「光を掴み取ろう」の部分でステージのライト、そして掴み取る動きをする愛、純子。
これもまたシビれる演出だよね。
昭和と平成の伝説旧アイドルが、2人でってところがポイント。
精一杯やるだけさ
はい、また純子のイケボいただきました!!!
胸の鼓動信じて
転んでも立ち上がって
死んでも這い上がって
それぞれ2人ずつハモるんだけど、純子と愛が低音パート担当して、他のメンバーの下支えしてるのがまた良いのだ。
目の前の手を握って時代なんて
地味に、ここのさくらの動きもたまらないね。
いつになく真剣な表情なんだよな。かわいいなあ、さくらちゃんも。
飛び越えて!
で、落雷。
ここの解釈だけど、やっぱり生前の愛は一身に雷を受けて死んだけど、今度はステージ全体(フランシュシュ全員)で雷を受けてると思うんだよね。
生前も今も愛はグループアイドルなわけだけど、今回はよりグループとして、チームとして、ひとりじゃないんだってことを強調しているような気がした。
想像するに、アイアンフリルでは愛ちゃん意外とワンマンなところあったんじゃないかねえ。そんな気がする。いや、そうあって欲しいって気持ちなのかもしれない。
……と同時に、ゾンビィは2度死なない。笑
ギャグだけど、雷=死の恐怖を乗り切るにはもってこいのシチュエーションだった。
トラウマ乗り越えちゃうんだよね、ゾンビィは雷に打たれてもべつに死なないからさ。笑
ただ、そのためにはみんなが側にいる必要があった。そういうこと。
目覚めRETURNER
そして続く、目覚めRETURNERですわ。
「目覚めRETURNER」については、歌詞がどうこうというか、「目覚めRETURNER」をここで歌う意味だよね。
まず、エレクトロリミックスにしたことの意味。これは00年代後半アイドルソングの流行りだからだよね?
愛の時間は2008年で止まっていたけど、このエレクトロリミックスによってふたたび時計の針が動き始めた。
まさに「時代を超えた」。
愛ちゃんも微妙に時代遅れと言えば時代遅れ。まだ忘れられてはいないけど、時代は流れアイアンフリルにはもう、愛ちゃんの代わりのメンバーがいるわけだよ。
そういう悲しみも含めて、時代に追いついたってのがエレクトロ演出の意味だと思ってる。
アツクナレの歌詞に続く、最高の演出だわ。
「レーザービーム」もパフューム的。直球な表現で分かりやすい。
もうね、「よか…」としか言いようがないよこれ。
脚本考えた人、天才だと思う。それか重度のドルオタ。
ほんとシナリオよく考えられてると思う。
【愛考】自分の代わりはいくらでもいる
あ、これは完全に僕がそう見たかっただけなんですが、愛がアイアンフリルのステージを見ているときに「私の代わりはいるんだな」って思ったんだろうか、いや思っていて欲しいって思いましたね。
だって、アイアンフリルのセンターは自分じゃないですか。
それがどっかの知らない女がセンターに立って歌ってるわけですよ?
複雑な気持ちに決まってるじゃないですか。
アイアンフリルは長く続いて欲しいけど、それは自分がセンターのアイアンフリルであって、自分がいないアイアンフリルを見るのはツラいのではないかなあと思った次第です。
【さくら考】さくらにとっては「リベンジ」となるステージ
目覚めRETURNER歌い終わって、さくらが泣いてたじゃん?
あのさくらの涙の意味って、当然うれし涙なんだけど、さくらにとっては特別だったと思うんだよね、ここで目覚めRETURNER歌うのは。
だって、第3話で最後こそ持ち直したとはいえ、お世辞にも上手とは言えないパフォーマンスだったわけでしょ?
そもそも、あのときの愛と純子は活動に反対してたわけだからね。見かねて助けてくれたに過ぎない。
衣装だってTシャツだし。そもそもゲリラライブだからね。違法じゃないけど、脱法活動ですよ駅前の無許可ライブは。
でも、今回はフランシュシュ全員が揃って、1人も欠けることなく歌い切った。お客さんもファーストライブとはくらべものにならない人数。あの盛り上がり。
さくらが泣いちゃうのも無理は無いよね。
なんかアニメ見てる自分まで古参ファンの気持ちになっちゃったよ。
デスおじたちは、あのアニメにおける視聴者の分身だね。
さくらちゃんと一緒にあの場で、あの感動を分かち合いたかった。
【追伸】純子、キノコになる
次回予告で「キノコになります」って言ってたのは、あまりに突拍子も無いので印象的でしたが、まさかホントにキノコを生やすとは思いませんでしたね。
ギャグとして面白かった。
まとめ
『ゾンビランドサガ』が今期一番面白いアニメだと思います。