だって美味しいんだもん!(子供かっ)
いっつも「おいしい」って言ってる(らしい)
友達と一緒にメシ食いに行くじゃないですか。
「んめえ! これうめえよぉ!」って言いながら普通に喰ってたわけですけど、「ホントに?……」みたいな顔して感想を聞いてくるわけですよ。
理由を聞いたら、「(お前は)いつも美味しいって言うから本当に美味しいのか分からない。信用できない」とのこと。
えぇ……
そんなこと言われても…… ねえ?
美味しいものを美味しいって言っていう以外ないやん……
無言評価だと熟年離婚すると思うの
確かに、意識的に言ってるところはある。これは否めない。
できるだけ美味しく感じたらすぐ「美味しい」って言うようにしてる。
べつに悪いことじゃないでしょ?
可能な限り言葉にしてる。
うちに反面教師がいるんですよ。
うちの祖父。母方のじいちゃんね。
いやあ頑固だよあの人は。
いやあ頑固だよあの人は。
じいちゃん、自分から「美味しい」って絶対に言わない人なんすよ。
僕とか家族が「美味しい?」って聞いて初めて「美味しい」とか「口に合わない」とか言うんです。
僕とか家族が「美味しい?」って聞いて初めて「美味しい」とか「口に合わない」とか言うんです。
理由を聞いたら、じいちゃん曰く「不味かったら言う」らしい。
「行けたら行く」みたいな? 違うか笑
「行けたら行く」みたいな? 違うか笑
「便りが無いのは良い便り」形式ってことだね。
- 無言=「良い」
- 何か言う=「悪い」
こういうことだな。
でも正直これってどうなんすかねえ?
例えば、料理作った立場からしたら「は?」って感じしません? こういうの。
作り甲斐なくない? そりゃ、感想を聞きたいでしょ。
作り甲斐なくない? そりゃ、感想を聞きたいでしょ。
「言わなくても分かる」のは、長年連れ添った相手だからこそなのかもしれないけど、そんなツーカーな仲とは限らないよね。
やっぱり家族と言えど、口にしないと分からないこともたくさんあると思うだよね。
それが夫婦と言えどもやっぱり同じで、「慣れ」でそれが消えると「お互いがお互いに興味を失う」ような気がしてる。
残念ながらばあちゃんはもう亡くなってるけど、ばあちゃんはばあちゃんで古風な人だから「男とはそういうもんだ」って理解で、優しい世界だったと思う。
でも、そんなじいちゃんの態度に娘たる「母」は、常に激おこ。
「いや、言えよ」と。
味が薄いのか、濃いのか分からなかったら作りづらいじゃん、というわけです。
正論だね。
正論だね。
だから積極的に言ったほうが良いと思うんです。僕は。
で、それを実践しているわけですね。今のうちから。習慣化するように。
で、それを実践しているわけですね。今のうちから。習慣化するように。
「熟年離婚」とかニュースでよく取り上げられていて、映画だと『家族はつらいよ』も熟年離婚がテーマだったりするわけですが、この辺が離婚の原因だと思ってるんですよね~。
長年の不満が爆発する、みたいな。
つまりこういう「言葉にしない評価」が互いを冷めさせて、離婚の、特に長年連れ添った夫婦ほど破局の遠因になっているんじゃないかなあ、と。
嫌いになったわけじゃないけど、好きでもなくなったってやつ。
美味いものは美味いと言う習慣
もちろん、不味いものを美味しいって言っちゃだめですよ?www
マジョリードに怒られちゃうwww
あくまで
- 美味しい=言う
- 不味い=言う
これを主張したい。
「美味いなら美味い」、「不味いなら不味い」と言おうよ、と。
「美味いなら美味い」、「不味いなら不味い」と言おうよ、と。
足切り点が低すぎたか?
そんなわけで、以上「僕に落ち度は無かった」という反論記事なんですが、う~ん、しいて言えば「評価が甘かった」点は改めてたい。
おいしさの段階が5段階評価だったとして、1も2も3も4も5も「美味しい」って表現していたかもしれない。
マイナス点の時だけ「不味い」というようなガバガバ判定。
確かにこれでは「美味しい」の「信用」が下がるよね。
悪い、悪かった。友よ。
5の「美味しい」と1の「美味しい」には差をつけて表現するようにします。
美味しさを語るって言うのかしら。
美味しさを語るって言うのかしら。
「糖度と酸度のバランスが良く、軽やかでフルーティーな仕上がり」とか。
「みずみずしさが感じられる素晴らしい品質」とか。
「エレガントで味わい深く、とてもバランスがよい」とか。
「今世紀で最高の出来」とか。
「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」とか。
「みずみずしさが感じられる素晴らしい品質」とか。
「エレガントで味わい深く、とてもバランスがよい」とか。
「今世紀で最高の出来」とか。
「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」とか。
そんな具合にね!