もえろぐ

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「対談本」が苦手。「会話風記事」も苦手。


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嫌いってほどではありませんが、「対談本」が苦手です。
「あるテーマについてAさん、Bさん、Cさんが話し合ってみた」的なやつ。

 

本のタイトルを見て「お、面白そうじゃん!」と手に取り、中を開いてみて「対談本」だったら「あっ……」ってなります。そして、そっと元の場所に戻します。

 

そのくらい苦手です。

 

 

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「対談形式(会話風)」=「薄い」という固定概念

 

「対談本」がなんで苦手かって言うと「薄く」感じるからです。

 

「対談本」を読み終わって「あー、濃い内容だったなー。すげえわ」ってなった経験があまりないからだと思います。

 

僕のすごい偏見かもしれませんが、「対談本」ってみんな好き勝手喋ってませんか?
で、散々喋った挙句に着地点が見えない。まとまりがないんですよね、あの類の本って。

 

「で、結論はなんなの?」っていつも読みながら思っちゃって、すごくイライラするんです。だから苦手です。

 

同様に「会話風記事」も苦手なんですよね。
あれも密度が薄い気がしてなりません。

 

最近、なんだかよくわからないけど「会話風記事(吹き出し記事)」が増えましたね。


自分でキャラ作って(絵とか)記事の中に複数登場させて、著者の主張(言いたいこと)を代弁させながら記事を展開させていく手法。(CSSで簡単に使えます)

 

「ん~、もっと短くできるんじゃないのかな。くっそ長い上下スクロールめんどいんだけど」って気がするものが、たまにあります。

 

僕が読みたいのは(知りたいのは)「結論」であって、その「過程」じゃない気がします。

 

全部ダメなわけじゃない

 

でも全否定するわけでもないんです。
効果的な使い方は確かにありますからね。

 

キャラに語らせることで、格段に理解しやすくなることがある。
これは確かです。

 

要はバランスだと思うんですよ、バランス。

 

最初から最後まで会話形式で、ほとんど「地の文(発言ではない文章)」が無い。
しかも「まとめ」も無い。

 

これはいけません。
「結局、お前は何が言いたいのだ?」ってなります。

 

「産業(三行でまとめてください)」ってなります。

 

一方で、要所要所に「差し込む」みたいな形式にすると、わりと良いです。
著者の言葉を代弁させるんじゃなくて、読者の疑問を代弁させるのがベストですね。

 

「そうそう。俺もそう思うわ」って言葉をキャラに語らせれば、腑に落ちるんです。

 

だから、バランスだと思います。
使い方を間違えると、薄くなる気がします。

  

ターゲットが違うだけかもね

 

カルピスの希釈を間違ったら、不味いだけです。
 
いくら「濃いの苦手な人向け」つったって、ほとんど水だったらカルピス味が邪魔です。だったら「うまい水出せよ!」と。

 

むかし「ケータイ小説」ってもの流行りました。覚えてますか。
今もあると思いますけど。


「ケータイ小説」が流行ったり、実写映画化されたりしたときに「こんなの小説じゃない! 文学をバカにするな!」みたいな批判があった気がします。

 

僕も「ケータイ小説」には否定的でした。
ただ、「抹殺されるべきもの! 吊るせ!」とまでは考えませんでした。

 

僕はこれまでの主張のように、「わりと文章が詰まっていても読める」人間です。むしろ、詰まった文章のほうが価値が高いと思ってます。(あくまで個人的な価値観)

 

いや、言い方が悪いな、ナルシストみたいな言い方になっちゃった。キモイわ。


なんつーか、「1,000文字(200文字・5段落)」で済むような話を、あえて会話形式にすることで「めっちゃ縦長の記事」になるってのが許せないんです。

 

短い文章で伝えられるってのが、良いと思うんですよね。
コスパ高いなーって思います。

 

どうせ「文字」にするなら、短いほうがいいと思いません?
それが「文章」という媒体のいいところですよね? 検索もしやすいですよね?

 

ガチで文章の会話劇にしちゃうと、それって「動画」と変わらないですよね?
むしろ、文章未満で動画未満のものになっちゃいませんかね?


あえてその会話劇を「文章」で表現する意味ありますか? って話。

 

 

ただ。

 

ただ、ですよ?


世の中には「文章が詰まっていると全く読めない(文字いっぱい苦手マン)」人も、確実に存在しています。

 

だから「え? おれ会話風のほうが断然見やすいけど?」て人も認めるべきです。
自分とは異なる存在を認めるべきだと思います。

 

認めるとか、認めないとかじゃなくて、みんな違ってみんないいと思います。

 

それを「馬鹿な人」「文盲乙w」と切り捨ててしまえばそれまでです。
結局伝わらない。広まらない。モノは言いよう例えようなのに。

 

  • 小説(文章多い)=文章詰まってても読める人向け=読書経験ある人
  • ケータイ小説(文章少ない)=文章詰まってると拒絶反応しちゃう人向け

 

こんなイメージですね。
でも、手法が違うだけで内容は同じかもしれません。

 

同じように、

 

  • 通常の記事=文章詰まってても読める人向け
  • 対談本=会話形式=文章詰まってると読めない人向け

 

こういうことかもしれませんね。
ターゲットが違うってことです。

 

他にも「PCとスマホ」っていう、端末の違いもあるかもしれません。
僕はPCメインだけど、世の中的にはスマホが主流だし。

 

あと、「過程を楽しむ」素材なら、会話形式も有効です。
べつに最初から結論が知りたいわけじゃないですし。

 

昔で言う「やる夫で学ぶ〇〇シリーズ」とかかな。
2chのスレとかスレまとめもそうだよね。あれも会話そのものに楽しみがあるから。

 

まとめ

 

「対談形式」や「会話風記事」が苦手という意見がある。
理由は、まとまりがなくて、結論が見えなくて、読後感が良くないから。


でもそう思うのは「自分向けに書かれたものではない(がターゲットじゃない)」から。


対談形式や会話風記事くらい、文書少なめの「物語」にしないと頭に文字が入ってこない人もいる。


だから「対談形式」や「会話風記事」はそういう人達に向けて書かれたものである。

 

つまり、「苦手」だと感じたら直ちに立ち去るべき。
あなた向けて書かれたものではないのだから。

 

蛇足

 

特に理由も意図も無いのに「会話劇」にしてませんか?
会話形式を使いすぎていませんか?
ただただ、読みにくいものになっていませんか?