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「神話と文学」から「調査と研究」へ/古代ギリシアの「歴史」

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「王権賛美」から脱却し、人類史上初めて「歴史叙述」がなされたのは「古代ギリシア」である。


古代ギリシアにおける歴史は、古代エジプト人の意識とはまた違った目的を持って記録されていた。 

 

 

ホメロスの歴史叙述 ~神話的、文学的~

 

ヨーロッパ最古の「歴史叙述」は、ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』である。正確な著作年は不明だが、紀元前8世紀半ば頃に書かれたものとされる。

 

両者はトロイ戦争の様子を描いたものであるが、これらは文学としての側面が強い。

 

ただし、シュリーマンが二作品の記述に基づいて調査したところ遺跡が発掘されたという事実がある。つまり「文学」の中に「過去実際に起きたこと」が含まれていたことが分かったのである。したがって、二つは歴史叙述としても扱われる。

 

しかしどこまでが「史実」で、どこからが「フィクション」なのか、見極めが難しいところである。研究は今なお続いている。


文体は叙事詩的であり、神話的要素が多分に含まれていることから、完全に「歴史」とは言いきれず、ホメロスの著書は「歴史叙述」に留まっている。

 

ヘロドトスの歴史叙述 ~事実か否か~

 

時代が進み、紀元前5世紀頃になると古代ギリシャの歴史叙述に、新たな面が加わった。それは「調査」である。

 

ヘロドトスの『歴史』は、紀元前5世紀に書かれた歴史叙述である。内容は「ペルシア戦争」に関することである。

 

『イリアス』と『オデュッセイア』、そして『歴史』。


どちらも表面上は大差無い。実際に起きた戦争を題材としており、神話的要素が含まれている。『歴史』を書いたヘロドトス自身も、自らの著作を文学の伝統の中の1作品と位置付けており、確かに伝統的な叙事詩の技法を用いて記されている。

 

ではなぜ、ホメロスの歴史叙述とヘロドトスの歴史叙述は区別されるのか。それは目的意識の違いである。

 

ヘロドトスは自らの著作の中で次のように述べている。


「人間界の出来事は、時の移ろいと共に忘れ去られる」


「ギリシア人やバルバロイ(異民族)の果たした偉大な事績、両者がいかなる原因で戦うに至ったか、知られなくなるのを恐れ、自ら調査研究して記した」

 

つまり、「なぜギリシアとペルシアが戦争に至ったのか」ということを、明らかに後世に伝えようとして記されたということである。

 

ここに因果関係を記録する、という極めて強い目的意識を持っていたことが窺える。

 

これがホメロスのと区別される所以である。

 

とは言え『歴史』には、ヘロドトスが各地で見聞きした伝承や神話なども盛り込まれているのは事実である。「調査」はしたが取捨選択はしない。

 

ここをどのように考えるか。


ヘロドトス自身は「事実か否かに関わらず、特に気にせず各人が見たこと、聞いたこと、語ったことをそのまま記録した」と言っている。

 

確かに各地の様子を記録するという意味においては、そのような手法もよいだろう。

 

しかしヘロドトスの「調査研究としての歴史叙述」という目的に合致しているのか疑問である。

 

したがって、ヘロドトスの『歴史』には従来の文学としての歴史の側面と、近代的な歴史の側面を併せ持っている。

 

この点が「従来の歴史」と明確に区別される歴史叙述として高く評価される一方、厳しい批判が無くならない理由である。

 

トゥキディデスの歴史叙述 ~調査と研究~

 

『歴史』のあと、トゥキディデスは『戦史』を書いた。


『戦史』ではペロポネソス戦争が描かれている。


未完となっているが、多くの部分から『歴史』とは異なる「実証的」な側面が見て取れる。


つまりヘロドトスはウソもホントも全部書いたが、トゥキディデスはできる限り正確に把握・記録しようと努めていた。だから神話の要素が取り除かれている。

 

トゥキディデスはこのことをもって「近代歴史学の祖」と呼ばれる。

 

古代歴史家「歴史は循環するもの」

 

古代ギリシアにおける歴史観はどういったものだったのだろうか。


ホメロス、ヘロドトス、トゥキディデスに共通して言えることが以下二点である。

 

より時代が後になるにつれてこれらの要素は強くなっている。

 

1.歴史を「循環し、反復するもの」として捉える


地上に起きる様々な出来事は、過去一度でも起きたものであり新しい出来事など無い、と考えていた。


逆に言うと、今起きていることはまた起きるのであり、それが予見できるからこそ書き残しておくということである。

 

2.歴史に「教訓性」や「実用性」を求めた


上記と通じるところがあるが、「困ったらこれを読むように」といった感覚で記していた。つまり後世の人が教訓を得られるよう意識していたということである。

 

歴史に教訓と実用性を求め、記録する

 

古代国家において戦争は重大な出来事である。人々の生活に直結しているからだ。

 

その一大事の判断に教訓を得られるよう、そして実用性があるように歴史が記されているのである。


過去の経験から言えることを、いつか役立つと考え残しているのだ。

 

歴史の中に教訓を求めることは万能ではない。


むしろ、求めすぎると危険な発想である。しかし、歴史循環説を前提に考えるのならそれらは有効な手段となり得るだろう。当然の意識だと言える。